六十秒遅い生放送
午後二時五分、公開ラジオ番組の放送中に、短い悲鳴と何かが倒れる音が流れた。音は隣の録音ブースから混線したものだった。スタッフが駆け込むと、司会者の蒲生寺弦が胸を刺され、卓上マイクの前で死んでいた。
容疑者は番組プロデューサーの戸栗麻生、進行役の鷹野蕗、音響技師の室生兼定。悲鳴が流れた二時五分、三人は公開スタジオのガラス越しに二十人の見学者から見られていた。戸栗は台本を持ち、鷹野は話し、室生は調整卓に両手を置いていた。録音ブースは廊下を曲がって十秒の場所にあり、二時五分にそこへ行ける者はいない。
蒲生寺は直前、戸栗には降板を、鷹野には代役への交代を、室生には不正編集の公表を告げていた。三人とも昼休みに録音ブースへ出入りしているが、番組開始後はそれぞれ持ち場にいた。見学者たちは「悲鳴を聞いた時、三人を同時に見た」と断言した。
確かめるべき手掛かりは三つだけだった。第一に、公開スタジオの入口には「安全対策のためインターネット音声は六十秒遅れて配信」と掲示されていた。第二に、録音ブース内の未配信原音ファイルには、悲鳴の時刻が午後二時四分三秒と記録されていた。第三に、廊下カメラでは戸栗だけが二時三分四十秒に席を外し、二時四分二十五秒に戻っていた。
鷹野と室生は二時から一度も席を立っていない。戸栗は「悲鳴がした二時五分には私もいた」と繰り返した。それは嘘ではない。けれど、その言葉は事件の時刻を一分取り違えている。
「見学者が聞いたのは、一分前の悲鳴です」私は配信表示を消した。「蒲生寺さんが刺されたのは原音が示す二時四分三秒。悲鳴は六十秒遅れて二時五分に流れ、その時にはあなたも席へ戻っていた。だから三人の二時五分のアリバイは完全なのです。しかし二時四分、鷹野さんと室生さんはスタジオ内、戸栗さんだけが四十五秒間廊下へ出ていた。遅れていたのは犯人ではなく、私たちが聞いた『現在』でした。あなたはその六十秒を、アリバイとして借りたのです」