割れた花瓶の風

 采女絢寧は、中学校の美術室を任されている。

 窓辺には、大学時代の恩師からもらった細い花瓶があった。白い土に青い線が一本入り、季節の枝を一輪だけ挿すのにちょうどよかった。

 放課後の掃除中、その花瓶が割れた。

 床へ落ちる音のあと、一年生の男子が箒を持ったまま固まっていた。

「僕が、机を」

 ほかの生徒が振り返る前に、絢寧は窓を見た。

「風でカーテンが当たったみたい」

 窓は開いていた。けれど花瓶を落としたのは机だった。

 生徒は何も言えず、破片を見つめた。

 皆が帰ったあと、男子は美術室へ戻ってきた。

「先生、嘘つきましたよね」

「半分だけ。風も強かった」

「僕のせいです」

「そうだね」

 絢寧は否定しなかった。

「叱られないようにしたんですか」

「皆の前で、あなたが割れた顔をする必要はないと思った」

 二人で破片を集めた。

 大きなものは接着剤で合わせ、足りない隙間へ白い粘土を詰める。

 青い線は途中で切れた。男子が細い筆を持ち、隙間の上へ続きを描いた。

「元と違う」

「前からこんなだったことにする?」

「また嘘」

「では、二人だけが知ってる修理跡」

 男子は少し笑った。

 翌週、花瓶は窓辺へ戻った。

 水を入れるには不安があるので、乾いたユーカリの枝を挿した。

 生徒たちは誰も気づかない。

 男子だけが通るたび、青い線の継ぎ目を見た。

 文化祭の準備で遅くなった日、男子が温かい缶のココアを二本買ってきた。

「修理代です」

「足りない」

「じゃあ、卒業まで分割」

 絢寧は一本受け取った。

 甘い湯気は出ないが、缶の熱が掌へじわりと移った。

 春、男子は二年生になった。

 窓辺の枝を入れ替え、今度は乾いたミモザを挿した。

「まだ秘密?」

 絢寧が訊く。

「先生が風のせいにしたこと?」

「あなたが青い線を描いたこと」

「どっちも」

 彼は花瓶の向きを少し変え、継ぎ目を壁側へ隠した。

 美術室には絵具、木炭、乾いた花の青い匂いが残った。

 割れなかったことにしたのではない。

 割れた瞬間を二人だけで静かに拾い、違う線を引き直したことが、窓辺を前より少し温かな場所にしていた。