十四番ロッカー
鳴海登生が家出を決めた夜、駅のコインロッカーは十四番だけ空いていた。
十七歳。背中には着替えと、父に折られたバイオリンの弓が入っている。
「音楽で食えると思うな」
父にそう言われ、登生は「あなたみたいにはならない」と言い返した。父は町工場で三十年働き、油の匂いをさせて帰る人だった。
午前零時、十四番に百円玉を入れて扉を開けると、向こう側に同じ駅があった。
ただし広告も券売機も違う。ホームの案内には、十五年後の日付が表示されていた。
向こうから男が歩いてきた。三十二歳の登生だった。駅員の制服を着て、片手に子ども用の小さなバイオリンケースを持っている。
「閉めるなよ」
未来の登生が言った。
ロッカーの底で百円玉がゆっくり転がっている。落ちれば扉は閉まるらしい。
「音楽家じゃないのか」
「違う」
登生は思わず笑った。
「やっぱり父さんが正しかった」
「それを認めるの、腹立つな」
未来の自分はケースを開けた。中には、傷だらけのバイオリンがある。登生が今、家へ置いてきたものだった。
「駅員しながら、土曜に子どもへ教えてる。演奏会も年に一回。客は保護者ばかり」
「負けじゃん」
「そう思うなら、今夜は勝手に負けてろ」
百円玉が端へ近づく。
登生は父のことを聞いた。
未来の登生は、制服の胸ポケットから短い弓を出した。継ぎ目に黒いテープが巻かれている。
「これ、父さんが直した。金属の芯を入れて」
「直せるのか」
「町工場を何だと思ってた」
「父さんとは、その……」
未来の登生は答えず、ロッカー越しに弓を差し出した。登生が継ぎ目へ触れると、黒いテープの下に、父の町工場の刻印があった。
「今夜帰ったかどうかで、答えが変わる」
百円玉が落ちた。
扉が閉まり、登生は現在の駅に取り残された。手には、弓から剥がれた黒いテープの切れ端だけがある。
家へ戻ると、父は台所にいた。折れた弓の破片を、老眼鏡もない目で眺めている。
登生は黒いテープをポケットへ押し込んだ。
「直せる?」
父は顔を上げた。
「やってみないと分からん」
「じゃあ、やってみて」
登生は鞄を下ろした。
十五年後の弓は、もう見なくても分かる気がした。