千本目の苗
農業スタートアップ「ネイチャーノット」の第三者割当会議で、井波戸蒼介は試験農場のアルバイトとして呼ばれた。発芽率九十九・九パーセントの耐塩性種子が、会社評価七十億円の根拠だった。
試験報告書には、千粒中九百九十九粒が発芽したとある。研究責任者の署名、農場長の印、撮影記録もそろっていた。
蒼介は播種台帳を机に置いた。農場へ届いた種子は百粒入り一袋だけ。管理番号も001から100までで、101以降は存在しない。
研究責任者は、残り九百粒を別農場で試したと答えた。
「別農場の住所はどこですか」
報告書には同じ温室番号G4が記されている。G4の棚は百ポットしか置けない。写真を確認すると、十枚すべて同じ百ポットを角度だけ変えて撮影したものだった。千本目とされる写真の端には、蒼介が補修した青いテープが毎回写っている。
さらに九十九・九パーセントという計算にも仕掛けがあった。元の表は「発芽99/試験100」。投資資料へ貼る際、分子と分母の末尾にそれぞれ9と0が加えられた。作成履歴には研究責任者のIDが残っている。
農場長は、性能の傾向は変わらないと言った。
「百粒でも九十九粒は発芽した」
蒼介は一粒だけ発芽しなかった鉢を持ってきた。その種は塩害ではなく、最初から空だった。百粒の試験結果にも再検証が必要だった。
正社員登用を約束されていた蒼介は、農場長の顔を見ずに言った。
「千本育ったのは苗じゃなく、報告書です」
蒼介は種子袋の重量記録も出した。入荷時百二グラム、試験後の空袋三グラム。千粒を受け取ったなら、少なくとも一キログラム近くなければならない。研究責任者が示した別農場の写真は、撮影日時も位置情報もG4温室と同じだった。
試験助手も呼ばれ、播種したのは百粒だけだと証言した。九百個の空ポットを片づけた者も、追加の種子を受け取った者もいなかった。
投資家が七十億円の承認書から実印を離した。存在しない九百本が、存在する一枚の決裁を止めた。