合鍵は封筒へ

菜月が封筒をテーブルに置くと、中で金属が鳴った。

母はカフェラテの泡をスプーンで崩しながら、封筒を見ないふりをした。

「この店、落ち着かないわね。あなたの部屋で話せばよかったのに」

「部屋では話さない」

「どうして」

「鍵を返してもらうから」

母のスプーンが止まった。

封筒の中には、先週交換した錠前の古い鍵が入っている。母が持っている合鍵と同じ形で、もうどの扉も開けられない。

「勝手に替えたの?」

「私の部屋だから」

「親が入れない部屋なんて、何か隠してるとしか思えない」

「隠したいものはあるよ。洗濯物とか、日記とか、寝てる顔とか」

三日前、帰宅すると冷蔵庫の中身がきれいに並べ替えられていた。賞味期限の近い惣菜は捨てられ、ベッドには母の選んだ花柄のシーツが敷かれていた。テーブルには「ちゃんと暮らしなさい」と書いた付箋が残っていた。

菜月はその説明をしなかった。母なら、片づけてあげた、心配だから、と同じ言葉を並べる。今日は過去を裁くためではなく、次の一回を止めるために来た。

「合鍵を出して」

「なくしたわ」

「じゃあ、それでいい。もう使えないから」

母が初めて封筒を見た。

「そこまでする?」

「ここまでしないと、やめなかったでしょう」

運ばれてきたケーキを店員が二つ置いた。母がいつも頼むモンブランと、菜月が自分で選んだレモンタルト。母は反射的に皿を交換しようとした。

「あなた、酸っぱいもの苦手だったじゃない」

「今は好き」

「昔は食べなかった」

「昔と同じじゃない」

菜月はタルトの先をフォークで切った。強い酸味のあと、砂糖の甘さが遅れてきた。

母はバッグの内ポケットを探り、小さな鍵を取り出した。テーブルに直に置こうとして、少し迷い、封筒の上へ載せる。

「捨てればいいのね」

「自分で捨てる」

菜月は鍵を封筒へ滑らせ、口を閉じた。

母はコーヒーをひと口飲み、「次はいつ行けばいいの」と言った。

「行くんじゃなくて、会う。月に一度、外で」

「予約制みたい」

「うん。予約して」

母は笑わなかったが、スマートフォンの予定表を開いた。菜月は来月の土曜日を一つ示した。

店を出る前、封筒をバッグへしまう。鍵の音はもう、扉を開ける音ではなかった。