名前のない目覚まし
理央の弟は、目覚ましを七つかけても起きない。
二十六歳の誕生日、病室へ来た篤人は、紙袋からコンビニのプリンを二つ出した。蝋燭の代わりに細いスプーンを一本立て、「二本は縁起が悪そうだから」と笑った。縁起という言葉を使ったあと、目だけが笑わなくなった。
篤人は来週から新しい職場へ通う。始業は八時半。実家にいたころ、理央は毎朝、壁を叩いて起こしていた。家を出てからは電話をした。入院してからも、朝七時に一度だけ鳴らすのが習慣になっている。
「来週からは自分で起きて」
理央が言うと、篤人はプリンの蓋を丸めながら「はいはい」と答えた。
理央は手を差し出した。
「スマホ貸して」
篤人の画面には、七時、七時五分、七時十分と細かく並んだアラームがあった。全部、同じけたたましい電子音。停止ボタンを押した記憶もないまま消してしまう音だ。
通話履歴の上には、理央からの短い着信が同じ時刻に並んでいた。出なくても、二度目が鳴るころには起きる。篤人はそれを「姉ちゃんアラーム」と呼んでいた。冗談の名前を、来週から本物の機械へ返すだけだ。
理央は一度、全部を解除した。
「ちょっと、怖いことするなよ」
「七個あるから起きないの」
「理屈が分からない」
「鳴ることが普通になってる」
新しいアラームを一つ作る。時刻は六時四十五分。音は、篤人が嫌っている小鳥のさえずりにした。止めるには画面の計算問題を解かなければならない設定も付ける。
ラベル欄で指が止まる。
以前なら「姉に電話」と入れただろう。篤人の新しい朝に、自分の名前を置いておくのは簡単だった。けれど、通知のたびに不在を思い出させるものは、目覚ましではない。
理央は窓際を見た。病室のカーテンは半分閉じている。朝になると看護師が開け、眩しい、と理央が文句を言う。
ラベルに「カーテンを開ける」と入力した。
「何それ」
「起きたらやること」
「水飲む、とかじゃなく?」
「光が入れば二度寝しにくい」
篤人は画面をのぞき、何も言わずプリンのスプーンを抜いた。
理央は曜日を月曜から金曜まで選び、繰り返しのスイッチを緑にした。