呼ばれなかった名前

卒業証書授与で、倉橋凪紗の順番は二十一番目だった。

壇上の教頭が読み上げたのは、戸籍に残っていた昔の名前だった。体育館の空気が、その二文字だけで高校入学の日へ引き戻された。制服の採寸で女子用の列に並べなかった朝、名簿を見た教師に何度も訂正された声、裏返したまま使っていた名札。三年かけて遠ざかったはずのものが、赤い絨毯の先から凪紗を呼んでいた。

立てなかった。

隣の列では椅子が順番に鳴り、次の生徒が腰を浮かせている。担任がこちらを見た。保護者席の父は、正面だけを見ていた。父がどの名前を待っているのか、凪紗には分からなかった。

そのとき、後ろの席から奏太が小さく言った。

「凪紗、次だよ」

式次第には載らない声だった。マイクにも拾われず、体育館の後ろまでは届かない。それでも凪紗の足は、その名前に押されるように床を踏んだ。

壇上で渡された証書には、やはり昔の名前が印刷されていた。校長は何も知らずに微笑んだ。凪紗は礼をし、紙を両手で受け取った。否定された気はしなかった。完全に認められた気もしなかった。ただ、自分の名前で立ち、自分ではない名前の紙を受け取るという、矛盾した一歩を選んだ。

教室へ戻ると、机の上には昔の名前を書いた卒業アルバムが置かれていた。凪紗は表紙を伏せた。奏太が近づき、「ごめん、勝手に呼んだ」と言った。

「ううん。呼んでくれなかったら、座ったままだった」

凪紗は証書を裏返した。白い余白に、借りた油性ペンで「倉橋凪紗」と書いた。上から塗り潰すのではなく、同じ紙の裏側へ。奏太はその文字が乾くまで、窓から入る風を手で遮っていた。

七年後、家庭裁判所から届いた封筒を開くと、変更を認める審判書に「倉橋凪紗」と印字されていた。凪紗は古い卒業証書を箱から出す。表の名前も、裏の名前も、どちらも消さなかった。

あの日、呼ばれなかった名前で立ち上がった自分まで、なかったことにしたくはない。

新しい免許証の署名欄に、凪紗はゆっくりと自分の名を書く。もう誰かが小声で呼んでくれるのを待たず、次の順番を自分で引き受ける字だった。