呼び間違い訂正室

一回の通話で三度、名札と違う名前を呼ばれたオペレーターは、呼び間違い訂正室へ名札を提出する。六番引き出しへ裏向きに入れ、翌朝戻った表記を三十日間使用する。訂正後の名前について質問してはいけない。全員が知る規則だったが、訂正室の担当者を見た者はいなかった。

保険会社の事故受付で働く霜鳥は、名前を呼ばれること自体が少なかった。客は「お兄さん」か「責任者」と呼ぶ。職場でも、成績上位の番号で呼ばれることが多い。顔と名字を結びつけてくれたのは、同期だった元恋人くらいだった。彼女も半年前に退職した。

深夜、ひとりの老人から電話が入った。契約者である妻が亡くなったので、入院給付の手続きを止めたいという。老人は書類番号を何度も間違え、霜鳥が確認するたびに「拓海、悪いな」と答えた。

一度目、霜鳥は訂正した。

「担当の霜鳥です」

二度目は黙って進めた。三度目、老人は息を整え、受話器のすぐそばで言った。

「拓海、お母さんを一人にして悪かった」

拓海は、霜鳥が十歳のときに死んだ兄の名だった。電話の老人は父だった。母の葬儀以来、十二年会っていない。顧客情報の生年月日と古い住所が、それを示していた。

通話中に身内だと名乗ることは禁止されている。霜鳥は規則どおり本人確認を終え、必要書類を案内した。父は最後まで彼を拓海と呼び、礼を言って切った。

三度呼び間違えられた以上、名札を提出しなければならない。霜鳥は六番引き出しへ入れた。中から、複数の名札が小さくぶつかる音がした。

翌朝、戻った名札には〈拓海〉とだけ印刷されていた。名字も社員番号もない。同僚は誰も疑問を持たず、「拓海さん、引き継ぎです」と声をかけた。勤怠画面から霜鳥の名は消え、代わりに兄の名で昨日までの成績が並んでいた。

三十日間、訂正後の名前を使う。それが規則だ。彼は父から再び電話が来るたび、拓海として応対した。父は少しずつ元気になり、昔の釣りの話までした。霜鳥が知らない兄との思い出だった。

三十日目、名札を外すと、裏に小さな着信時刻が刻まれていた。次の電話は一分後だった。

受話器を取ると、父は初めて「霜鳥か」と言った。

訂正室の規則では、元の名前を呼ばれた通話は即時終了する。霜鳥は「はい」とだけ答え、切断ボタンを押した。

机の上で〈拓海〉の文字が名札から剥がれ、乳歯ほどの白い三片になった。三片は受話器の下へ転がり、誰も触れていないのに、電話線を一本ずつ噛み切っていった。