地球用の肺

洞口多希は、小惑星採掘へ行くたびに身体を替えた。低重力用の骨、放射線を弾く皮膚、粉塵を濾す肺。十二年後には、地球の空気のほうが彼を傷つけるようになっていた。

母の葬儀で帰還許可が出たのは、三時間だけだった。宇宙にいる間、母は季節ごとに音声を送ってきた。雨樋の音、蝉、石油ストーブ。多希は作業中に聞いたが、どれも故郷というより、古い環境データのように遠かった。多希は透明な隔離服に入り、実家の座敷へ立った。兄は棺の横で、彼を見ようとしなかった。

「母さん、最後まで窓を開けてた。雨の匂いが好きだったから」

外では梅雨の雨が降っていた。多希の肺は湿度を数値で示したが、匂いは分からなかった。鼻粘膜も嗅覚神経も、作業効率の低い器官として交換済みだった。

「帰ってこいって、何度も言ってた」

「帰れば死ぬ」

「だから帰らなかったのか。死なないために、何になったんだよ」

多希は答えられなかった。稼いだ金で家の借金を払い、母の治療費も送った。それでも、母が最期に見た息子は画面の中にしかいなかった。

葬儀のあと、宇宙港へ戻る車を降り、多希は医療店へ寄った。地球滞在者向けの生体嗅覚膜を、一時間だけ借りた。装着すると警告が鳴り、喉が焼けるように痛んだ。

彼は隔離服の吸気口を開けた。

濡れた土、古い木、線香、紫陽花。情報ではなく、胸の奥へ直接入り込む匂いだった。母が洗濯物を取り込む声まで蘇り、多希は道端でしゃがみ込んだ。

採掘会社との契約更新を、彼は断った。地球で生きるには毎週の肺洗浄と高価な薬が必要だった。以前ほど稼げず、階段を上るだけで息切れした。町の修理所で、宇宙帰りの作業員の装具を直す仕事に就いた。給料は半分以下だったが、夕方には実家へ戻れた。

兄と二人で実家を片づけた夏、また雨が降った。

多希は窓を開けた。苦しさに咳き込みながら、それでも閉めなかった。

帰るとは、元の身体へ戻ることではない。失ったものの痛みに耐えながら、もう一度そこで息をすることなのだと知った。