声の値段
雁金永嗣は二十九歳の決済システム技術者だった。口無町の「黙り市」が完全キャッシュレス化するため、露店端末の動作確認を任された。
運営チャットの固定事項は一つだけだった。
《終い鐘の後、露店の品の値段を尋ねてはいけない》
夜市には焼き物の匂いがあるのに、鉄板の音も客の咀嚼音も聞こえなかった。口を動かす者はいるが、声だけが露店の瓶や箱へ吸い込まれていた。
鐘の前までは、干した薬草、欠けた櫛、録音できないカセットなど、用途不明の品に電子値札が付いていた。永嗣が端末ログを見ると、購入者名はすべて空欄で、商品名だけ『笑い声』『寝言』『最後の呼びかけ』となっている。運営責任者は、『鐘の後は金額以外で精算される』と曖昧に答えた。
午後十一時、寺の鐘が鳴ると、客も店主も一斉に黙った。値札のない品が並ぶ中、永嗣は古い真鍮の鈴を手に取った。端末へかざしても金額が出ない。障害だと思い、向かいの老婆へ一度だけ尋ねた。
「これ、いくらですか」
老婆は口を開かず、永嗣の喉を指した。決済端末が短く鳴り、画面に「支払済」と出た。
ホテルへ戻る途中、同僚から電話が来た。永嗣は話せたし、声もいつもどおりだった。迷信にしては拍子抜けだと思った。
異変は翌朝から始まった。スマートスピーカーが永嗣の命令を聞き取らない。会社の音声認証も「登録者と一致しません」と返す。録音アプリで自分の声を再生すると、波形はあるのに無音だった。人間の耳には聞こえるが、機械だけが声を受け取らない。
会議の自動字幕は永嗣の発言だけ空欄にし、代わりに『商品説明中』と表示した。
電子決済の履歴を開くと、昨夜の取引が残っていた。
《商品:雁金永嗣の声》
《数量:一》
《受取人:黙り市》
返金ボタンは灰色で、代わりに「再生」というボタンがある。押すと、スマホから永嗣の声が流れた。
「これ、いくらですか」
同じ言葉が、少しずつ遠ざかりながら何十回も繰り返された。最後には、露店の呼び込みのような調子になった。
そのとき友人から着信した。永嗣が応答する前に、スマホが勝手に電話を取った。
スピーカーから、売ったはずの彼の声が答えた。
「雁金の声なら、もう売り切れました」