外すためのPK
延長後半十五分。残り五分。
櫂谷壱真の前に、白いボールが置かれた。これを決めればクラブは一部昇格。勝利給で実家の借金も返せる。
ゴールキーパーは左のポストを二度叩き、笑う。
「左だろ」
壱真はほどけかけた右足の白い靴紐を結び直した。助走三歩。右隅へ蹴る。キーパーの指先を抜け、ネットが膨らむ。同時に、右足首の奥で乾いたものが切れた。
歓声が爆発し、世界が白くなる。
延長後半十五分。残り五分。ボールはまた目の前にあった。
二周目は左上。三周目は中央。四周目は助走を一歩にした。コースを変えても、強く蹴ってネットを揺らした瞬間、足首が切れ、五分前へ戻った。
「左だろ」
キーパーの挑発と白い靴紐だけが変わらない。
チームドクターは試合前に言っていた。腱は限界だ。次に断裂すれば、手術しても以前の速度には戻らない。それでも壱真は鎮痛注射を選んだ。今日だけ勝てればいい、と。
七周目、弱く蹴った。キーパーに止められた。時計は進まず、笛の直前にまた戻った。外しても偶然なら、ループは許さないらしい。ベンチでは監督が拳を振り、主将が胸のエンブレムを叩く。その期待も毎回同じ位置へ戻り、壱真だけに重さが蓄積した。
九周目、壱真は成功の形を見つけた。キーパーが左へ跳んだ後、遅いボールを中央へ流す。足首へ負担はない。ネットへ届くまで二秒。昇格も、金も、選手生命も手に入る。
だが蹴る直前、観客席の大型画面に自分の顔が映った。恐怖ではなく、勝利だけを欲しがる顔だった。何度足が切れても、まだ次を要求する顔。
十周目。壱真は靴紐を結ばなかった。
「左だろ」
「いや、今日は外す」
助走を取り、ボールを意図的にタッチラインの外へ蹴り出した。ゴールから十メートル離れた場所で転がる。観客の声が消え、次に罵声が落ちてきた。
主審の笛。試合終了。
時計は一分進んだ。クラブは昇格を逃し、壱真の端末には契約解除の予告が届く。実家の借金も残る。
それでも白い靴紐の下で、右足は切れずに痛んでいた。壱真はその痛みを、自分の時間が前へ進む感覚として確かめた。