子ども椅子は外さない

育児用品レンタル店の返却受付が閉まるまで、あと十分だった。

木住野透子は、橋場幹也の車の後部座席から子ども用のブースターシートを外そうとしていた。八歳の息子、朔也が今週末だけ使ったものだ。透子は離婚後、朔也と二人で暮らし、月に一度だけ元夫の家へ送り出す。その「子どものいない週末」に、幹也と会うようになって半年が過ぎていた。

幹也を好きだった。けれど好きとは言えない。彼は身軽な旅行が好きで、予定を前日に決める人だ。朔也の時間割や面会日や発熱で、何度予定を変えても笑ってくれる。その優しさを、親になる覚悟だと勝手に読み替えたくなかった。

朔也は幹也を『お母さんの友達』と呼び、幹也もそれ以上の呼び名を求めなかった。三人で昼食を取ったのも今日が初めてで、朔也は車を降りる際、次もこの席がいいと言った。その無邪気な予約を聞いた瞬間、透子は喜ぶより、幹也の自由を奪ったような焦りを覚えた。

「それ、外していいよ」

透子は固定ベルトを引いた。

「来月も使うかもしれない」

「朔也がいる日は会わなくていい。今まで通りで」

「今まで通りって、朔也がいない日だけ?」

「その方が楽でしょ」

幹也はトランクを閉めず、透子の手元を見た。

「透子は、俺が朔也を邪魔だと思ってる?」

「思ってない。思ってないから、外していいって言ってるの」

言葉が逆向きになった。駐車場の照明が一つずつ消え、店員が返却品のワゴンを片づけ始める。

「俺は、親になりたいなんて言ってない」

透子の胸が冷えた。

「でも、朔也のいない透子だけ好きだとも言ってない」

幹也はしゃがみ、緩んだベルトを元に戻した。

「分からないことは分からないままでいい。朔也が俺を嫌うかもしれないし、俺も失敗する。でも、透子が先に二人分だけの関係に切らないで」

返却受付終了のアナウンスが流れた。ブースターシートは店で借りた物だから、今返さなければ延長料金がかかる。

透子は一度外した留め具を拾った。

「外していい、じゃなくて」

自分の手で、もう一度後部座席へ固定する。

「今日は外さなくていい。延長料金、半分払う」

幹也が笑う前に、透子は育児用品レンタル店のアプリを開き、返却日を一か月先へ変更した。