屋上に朝ごはん

シェアハウスの屋上へ続く扉の合鍵が、共有ボードからなくなった。

有馬小春が気づいたのは、退去日の朝だった。三年前、失恋してこの家へ転がり込んだ夜も、最初に連れてこられたのが屋上だった。知らない町の灯りを見ながら、澄香たちと焦げた餃子を食べた。最後の日も、あそこで町を見たかった。最後に屋上から町を眺めておきたかったのに、管理役の弓削澄香は「昨日まではあった」と言う。鍵に触れそうなのは、夜勤明けで帰った久世碧依、雨樋を直しに来た鳴神、それに澄香自身の三人だった。

小春は段ボールを閉じながら、妙なものを拾った。台所の床に、屋上の植木鉢で使っている星形の軽石。洗濯籠の底に、白い紙飾りの切れ端。そして冷蔵庫には、今日の日の出時刻だけを拡大した天気予報が貼られていた。

「屋上、立入禁止になった?」

そう訊くと、三人はそろって目をそらした。

小春は階段を上がり、扉に耳を当てた。向こうから、食器の触れ合う小さな音がする。試しにノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。

扉の先には、折り畳みテーブルと四人分の朝食が並んでいた。紙飾りには「いってらっしゃい」。鉢植えの間を白い旗が渡り、鳴神は脚立の陰で隠れ損ねている。

合鍵を持ち出したのは碧依だった。昨夜、飾りつけのため屋上を開け、そのままポケットに入れていたのだ。

「サプライズを守るため黙ってた。ごめん」

碧依はもう一つ謝った。先月、共有クラウドを整理したとき、小春が入居した日からの写真を誤って消してしまったこと。復元できず、言い出せないまま、小春が転職で町を離れる日が来てしまった。

テーブルには、残っていた写真を一枚ずつ印刷した小さなアルバムがあった。ピントの外れた鍋、雪の日の玄関、深夜二時の誕生日ケーキ。きれいな写真ではないのに、どれも部屋の匂いまで思い出せた。消えた写真の枚数より、覚えている場面の方がずっと多いことにも気づいた。

「消えた分は、これから撮ればいい」

澄香が新しい共有フォルダの招待画面を見せた。名前は《帰ってくる人用》だった。

朝日が隣のビルの縁からのぼった。小春は温め直したクロワッサンを一口かじる。

「じゃあ、退去じゃなくて、行ってきます」