屋上に迷った風の子
高層ビルの清掃員は、屋上のアンテナに小さな子どもが絡まっているのを見つけた。
薄い雲のような髪が風にほどけ、足は地面へ着いていない。
助け下ろすと、子どもはくしゃみをした。
「風の子なのに、風邪をひいた」
「どこへ帰る」
「分からない。まず眠らないと」
風の子は、人に貸した服のポケットでしか眠れないという。
清掃員は自分の上着を差し出した。
だが、それは誰にも貸していない服なので、風の子はポケットへ入っても目を閉じられなかった。
ロッカーの奥に、亡き妻の薄いカーディガンがある。
入院中、冷える病室で羽織っていた物だ。捨てられず、家へ持ち帰ることもできず、三年間そこへしまっていた。
その夜、派遣で働く若い女性が、雨に濡れて休憩室へ入ってきた。
着替えを持っておらず、暖房の前で震えている。
清掃員は上着を貸そうとして、サイズが合わないことに気づいた。
ロッカーのカーディガンなら、ちょうどよさそうだった。
手に取る。
妻の匂いはもうしない。
それでも、ほかの人の肩へ掛ければ、妻の時間まで手放す気がした。
風の子が棚の上で言った。
「貸す服は、返ってくるかもしれない服だよ」
「返らなかったら?」
「それでも、貸した時間はなくならない」
清掃員は若い女性へカーディガンを渡した。
「古い物でよければ」
女性は袖を通し、
「温かいです」
と笑った。
風の子は胸ポケットへ入り、すぐ小さな寝息を立てた。
夜勤明けまで、清掃員は何度もポケットを見た。
女性は休憩のあと仕事へ戻り、窓辺の植木へ水をやり、重いごみ袋を一つ代わりに持ってくれた。
妻とは何も似ていない。
だから安心した。
朝、カーディガンが返ってきた。
ポケットの中は空で、風の子は屋上から吹く一陣になっていた。
「洗って返します」
女性が言う。
清掃員は首を振った。
「そのまま持っていてください」
言ったあと、少し後悔した。
けれど女性は、
「では、寒い人を見つけたら貸します」
と答えた。
数週間後、カーディガンは別の清掃員の肩にあり、その次は夜警が着ていた。
誰の物とも決まらず、ビルの中を巡った。
清掃員は妻を忘れなかった。
妻の服だけを、思い出の部屋へ閉じ込めるのをやめた。
屋上の風が強い日、胸ポケットのあたりで小さなくしゃみが聞こえることがある。
そのたび誰かが、近くで寒そうな人を探した。