幕が止まった夜

蟹江茉白の仕事は、客席からほとんど見えなかった。

舞台袖で転換表を握り、床の振動を靴底で確かめる。自動昇降機が正常でも、役者の裾が十センチ長ければ動かす順番を変えた。故障に備え、手動で幕を落とす縄の位置まで毎公演そろえた。

劇場運営部長の片桐英嗣は、稽古場を視察した日に言った。

「本番中、暗い所で突っ立っているだけじゃないか。自動化した設備に給料泥棒は要らない」

大型ミュージカルの初日前、茉白は解雇された。彼女が作った非常手順書は厚すぎるという理由で廃棄され、転換は若いスタッフ一人が端末で操作することになった。

初日の第二幕、回転舞台が半周で止まった。大道具の脚が安全センサーの死角へ入り、昇降床と噛み合ったのだ。背景は城、床は港のまま。主演俳優は閉じた扉の裏へ取り残され、幕を下ろそうにも予備の縄を知る者がいなかった。

客席のざわめきは二十分続いた。主演は舞台裏から救出されたが、装置の再起動で大道具がさらに歪んだ。公演は中止。翌日以降も部品交換が終わらず、団体予約とスポンサーが離れた。

茉白は、倉庫を劇場に改装した小さな巡業劇団へ移っていた。そこには回転舞台も昇降床もない。茉白は滑車と人の呼吸だけで、王宮から嵐の海へ六秒で変わる転換を作った。

演劇祭の本番、暗転は一度もなかった。俳優が剣を振り下ろした瞬間、壁が帆へ裏返り、客席からどよめきが起きた。終演後、転換そのものに拍手が送られ、批評紙は「舞台裏がもう一人の俳優だった」と評した。

片桐は演劇祭の主催スポンサーを訪ね、修理後の劇場へ公演を戻してほしいと頼んだ。

担当役員は答えず、巡業劇団の次年度専用劇場契約をスクリーンへ映した。技術統括欄には蟹江茉白の名があった。

「設備の多い劇場を支援していたわけではありません」

役員は旧劇場との契約終了ボタンを押した。

「幕を必ず開ける人を支援するのです」

茉白が技術統括の印を押した瞬間、片桐の劇場から最後の協賛ロゴが消えた。