幕は上がらない

六波羅茉白は、舞台袖に使っていた黒い布を畳みながら言った。

「演劇サークル、本日をもって解散。異議ある人」

兼平温人が手を挙げた。

「議長、ここ部室」

「最後くらい舞台っぽくしたいの」

獅々戸叶は大道具の扉を支えていた。壁のない扉だけが、部屋の中央に立っている。次回公演のために作ったが、大学会館の改修で会場を失い、代替場所の申請も通らなかった。

「茉白は養成所だろ」

「東京。年齢制限ぎりぎり」

「受かったら、俺たちのこと忘れそう」

「落ちたら、もっと忘れたい」

温人は春から介護施設で働く。演劇とは無関係だと言ったが、茉白は「毎日、違う人の昨日に合わせて話す仕事なら、役者より役者だよ」と返した。

叶は法科大学院へ進む。会場を奪った大学を訴えるためではない。

「契約書が読めなかったのが悔しかった。『改修の可能性あり』って一行で、半年分の稽古が消えるの、もう嫌だから」

「弁護士になったら、劇場を守ってよ」

「料金払ってくれるなら」

三人は衣装箱を閉じた。舞台で王だった上着、死人だった白布、誰かの母親だったエプロン。役を脱げば、どれも古着だった。

最後に、未上演の台本を一度だけ読んだ。三人が駅で別れる場面。茉白が「行ってくる」と言い、温人が「待ってる」と言い、叶が「待つな」と言う。

読み終えると、温人が拍手した。一人分の拍手は、妙に事務的だった。

「この台詞、今の俺らみたいだな」

「作者が私だからね」

「結末は?」

「書いてない。上演してから決めるつもりだった」

茉白は台本を破ろうとした。叶が止め、温人が「持ってけ」と言った。

退室の時間になり、三人は荷物を抱えた。大道具の扉だけは大きすぎて運べない。廃棄シールを貼る決まりだったが、誰も貼らなかった。

茉白が先に扉をくぐり、東京へ行く人の歩き方をした。温人は次にくぐり、振り返って一礼した。叶は最後に蝶番を確かめ、壁のない向こう側へ出た。

部室には扉だけが残った。開いたままなのに、もう誰も入ってこなかった。