引越し祝い

万里花と冴の新居は、駅から遠い古いマンションだった。

母親に住所を知られないためだと聞いていた。以前の部屋にも脅迫状が届き、万里花は婚約者との同居を直前で取りやめた。どの手紙にも消印がなく、なぜか冴が一人で留守番した日に限って郵便受けへ入っていた。祝いに訪ねると、万里花はカーテンの隙間までテープで塞ぎ、冴は廊下側の窓に段ボールを立てていた。

「そこまでしなくても」と私が言うと、冴は肩をすくめた。

「お母さん、光ってる窓を数える人だから」

冗談にしては具体的だった。

テーブルには、母親から届いたという封筒が置かれていた。消印はなく、宛名は万里花の旧姓で、赤いペンで〈見つけた〉と書かれている。

万里花は震えていた。冴はなぜか封を切る前から「中には髪の毛が入ってる」と言い、実際、便箋と一緒に長い髪が一本落ちた。

私は、以前にも同じものが届いたのだろうと考えた。髪は万里花と同じ色だったが、冴は『お母さんが切って持っていた』と迷わず言った。

ケーキを切るとき、冴は食べずに写真だけ撮った。カードには〈見つからないで。今度こそ、二人だけで幸せに〉と丸い文字が並んでいた。万里花が眠剤を飲んで横になると、冴は急に明るくなり、家具の配置を変え始めた。

「お姉ちゃん、婚約者のところへ戻りたいって言ってたけど、これで諦めるよね」

「婚約者?」

聞き返すと、冴は口を閉じた。

帰り際、私はゴミ袋の口から、使いかけの赤いペンを見つけた。そばに、封筒と同じメーカーの便箋があった。

見なかったふりをして玄関へ向かう。万里花に知らせれば、また母を疑うのか、妹を疑うのか、その選択まで冴に奪われる気がした。それでも私は何も言えなかった。廊下で振り返ると、冴はテーブルの二枚を重ねていた。

〈見つけた〉と、祝いのカードの〈見つからないで〉。二つの「見」には、右下へ折れる線の先に同じ小さな丸があった。

エレベーターの扉が閉じる直前、冴は指を唇に当てた。

その仕草だけは、母親ではなく私に向けられていた。