形見分けは来月まで

 鰐淵家の母が、独立した三人の子どもを実家へ呼び集めた。

「急で悪いけど、欲しい物を決めてちょうだい。私はもう、この家には長くいないから」

 三人は一斉に母を見た。母は七十四歳だが、先週も町内の卓球大会で準優勝している。

「お母さん、どこか悪いの?」

「年齢なりにね。膝は痛いし、階段は面倒」

「医者には行った?」

「見学には行ったわ」

「見学?」

 母は居間を見回した。

「ピアノは長女。食器は次男。写真とアルバムは末っ子。あの大きな熊のぬいぐるみは、欲しい人いる?」

「私はピアノ置けないよ」

「僕も食器を百枚も要らない」

「じゃあ熊だけ三等分する?」

「縁起でもない切り分け方をしないで!」

「今そんな話をしなくても」

「今だからするの。来月までに空にしないと困るもの」

「来月!」

 長女の目に涙が浮かんだ。

「そんなに早いなんて聞いてない」

「私も先週決めたばかりよ」

「一人で決めたの?」

「卓球仲間に勧められて」

「その人は何者?」

「去年から先に入ってる」

「先に……」

 三人はますます青くなった。次男が母の手を握る。

「最後まで家で過ごしたいなら、僕たちが交代で来るよ」

「最後まで? ここ、売った後に誰か住むでしょう」

「家まで売るの?」

「駅に近いところのほうが楽なの。食事も出るし、夜は見回りもある。個室だけど、お風呂は大きいのよ」

「それは……施設?」

「そう。シニア向け住宅」

 母はパンフレットを広げた。表紙には、花壇とカラオケ室の写真が載っている。

「入居者で卓球部を作るんですって。卓球仲間が『ダブルスの相手が足りない』って」

「病気で入るんじゃないの?」

「元気なうちに引っ越すの。三階建ての家で一人暮らしなんて、掃除だけで老けるわ」

 三人はしばらく黙り、それから同時に息を吐いた。

「じゃあ、形見分けじゃない?」

「誰が死ぬって言ったのよ。生前整理は、生きてる人がするものです」

 ちょうど玄関の呼び鈴が鳴った。引っ越し業者が見積もりに来たのだ。

 母は立ち上がり、泣きかけていた長女の肩を軽くたたいた。

「勝手に最終回にしないで。次の舞台は駅前よ」