彼女の顔は貸出中
小田切准平は毎朝、接客用身体へ意識を移して百貨店へ向かう。会社が選んだ顔は、笑うと目尻が下がり、客からの評価も高い。身体の顔と利用者の人生は別物だと、彼は誰より理解しているつもりだった。
恋人の美尋が死んで一年になるまでは。
事故前、美尋は生活費のため、自分の全身データをレンタル会社へ提供していた。死後も「親しみやすい二十代女性型」として貸し出されている。
准平は毎晩、端末に残した彼女の写真へ話しかけた。雨の日の駅、狭い台所、寝癖のまま笑う朝。画像の中だけは、彼女の顔が彼女のものだった。
その朝、一通の削除通知が届く。
《相貌モデルM-204の現利用者から、肖像権侵害の申立てがありました》
《二十四時間以内に該当画像を削除してください》
貸出身体の顔は、現在その身体を借りている者が独占する。過去に同じ顔を持っていた者の写真であっても、現利用者の同意がなければ保存できない。それが規則だった。
「これは恋人の写真です」
准平は異議を送った。
《故人は現在の権利者ではありません》
申立人の確認映像が開く。
美尋の顔をした女性が、知らない声で言った。
『街で私の写真が勝手に使われるのが怖いんです』
髪の分け目も、左頬の薄いほくろも同じだった。だが話すたび、美尋なら一拍置く場所で息を継がない。
准平は現利用者へ連絡を申請した。
『写真の人は、あなたではありません。会って確認してほしい』
返事は拒否だった。
《権利者は面会を望みません》
削除期限が迫る。保存を続ければ、准平自身の貸出身体契約が停止される。身体がなければ働けず、寝たきりの本体の保管料も払えない。
彼は一枚ずつ開いた。
美尋が初めて作った焦げた卵焼き。
病院の屋上。
「また来年」と書いた桜の下。
削除ボタンを押すたび、現利用者の肖像保護率が上がった。
最後の一枚は、二人で鏡に映った写真だった。准平はまだ事故前の本体で、美尋が肩へ頬を寄せている。
端末が二人の顔を囲む。
《右側の人物のみ権利侵害》
《部分削除が可能です》
准平は部分削除を選んだ。
美尋の顔が滑らかな空白へ変わり、彼だけが誰もいない肩へ笑っている写真になった。
翌朝、通勤中の広告で、美尋の顔が化粧品を勧めていた。
『この顔は、私だけのもの』
現利用者の声だった。
准平には、違うと言うための写真がもう一枚も残っていなかった。