悲嘆保険
鳥越琴絵の父が死ぬと、保険会社は遺族の悲しみを測りに来た。
死亡保険金は、被保険者が家族へ与えていた情緒的価値に応じて配分される。泣き声、喪失感、身体反応をAIが採点し、最も悲しむ者ほど多く受け取る仕組みだった。
兄は八十六点だった。棺にすがり、幼い日の釣りの話をした。琴絵は十二点。母は九点だった。
担当者は眉をひそめた。
「緊張で反応が抑制される方もいます。思い出の品を使って再検査できますよ」
琴絵は父の革ベルトを見た。子どものころ、その音が廊下でするだけで背中が固くなった。母の腕には、冬でも消えない痣があった。兄は高校から寮へ入り、父の機嫌がよい休日だけを覚えていた。
琴絵が感じていたのは悲しみではなく、もう玄関の鍵に怯えなくてよいという安堵だった。AIはそれを正しく測っていた。
兄は保険金のほとんどを受け取り、父の名を冠した釣り大会を開くと言った。琴絵には、それも兄なりの記憶なのだと分かった。それでも、二人が同じ父を持っていたとは思えなかった。
「父さんを愛してなかったのか」
母は答えられなかった。琴絵は再検査を断った。泣く演技をすれば、母と暮らし直すための金が手に入る。担当者は、悲しい音楽と睡眠不足で数値を上げる方法まで説明した。だが父が死んだあとまで、父の望む娘を演じたくなかった。
葬儀の翌週、琴絵は母を古い家から連れ出した。保険金はなかったので、駅から遠い小さな部屋を借りた。壁紙は剥がれ、風呂も狭かったが、玄関の鍵が回る音を二人で選べた。
最初の夜、母は何度も目を覚ました。
「お父さん、帰ってこないよね」
「帰ってこない」
そう答えるたび、母の呼吸がゆっくりになった。
一か月後、兄から父の遺品が届いた。革ベルトも入っていた。琴絵は切って、鉢植えの支柱を結ぶ紐にした。
感情端末が安堵九十四と表示したので、母は初めて笑った。
「私たち、悲しくないんだね」
「うん。生き残ったんだよ」
その点数だけは、二人とも否定しなかった。