改稿履歴だけ残る

【脚本ゼミ残党】

00:06 鯨岡理沙

『透明な法廷』第七稿を共有しました。

00:07 相馬晴登

題名からして司法試験に行く気満々。

00:08 安堂佳澄

ラスト変えた?

00:09 鯨岡理沙

変えた。あと、これで書くのやめる。

画面の向こうで、晴登と佳澄の入力中を示す点が同時に跳ねた。理沙は予備校へ進み、晴登はテレビ制作会社のアシスタントディレクター、佳澄はアルバイトを減らして公募脚本に賭ける。進路は知っていたが、理沙が創作まで捨てるとは聞いていない。

00:11 相馬晴登

法律ものを書けばいい。

00:12 鯨岡理沙

人の揉め事を、面白い素材だと思う癖をなくしたい。

00:13 安堂佳澄

なくさなくていい癖もある。

00:14 鯨岡理沙

佳澄は残して。公募で勝って。

00:15 安堂佳澄

命令しないで。

『透明な法廷』は三人で何度も直した。晴登が会話を削り、佳澄が結末を壊し、理沙が翌朝すべてを戻した。第六稿と第七稿を比較すると、消えたのは台詞よりト書きだった。〈ためらう〉〈振り返る〉〈言えない〉という指示が、全部なくなっている。

00:18 相馬晴登

俺は番組で人を泣かせる側に行く。たぶん自分が先に泣く。

00:19 安堂佳澄

私は落選通知を増やす。

00:20 鯨岡理沙

私は、フィクションじゃない判決文を読む。

晴登がト書きの削除理由を訊くと、理沙は〈法廷では黙っていても記録されるから〉と返した。

00:23 相馬晴登

三年後、同じチャットで愚痴ろう。

理沙は返事をせず、第七稿の所有権を佳澄へ移す。

00:24 鯨岡理沙

ラストだけは戻さないで。

00:25 安堂佳澄

約束しない。

〈鯨岡理沙がグループから退出しました〉

佳澄がファイルを開く。最後の場面では、無罪判決を聞いた被告人が法廷を出ず、傍聴席の空いた椅子へ座っていた。晴登は冗談のスタンプを探したが、どれも場違いだった。

理沙は退出前に一つだけメッセージを削除していた。通知には〈メッセージの送信を取り消しました〉と残る。晴登は内容を見ていたが、佳澄には教えなかった。〈本当は、二人より先に受かりたかった〉。その一文だけが履歴にも残らなかった。

画面右上には、退出した理沙の名前が編集者として残る。改稿履歴は百八十七件。消去ボタンもあったが、佳澄は押さなかった。