日曜の証明写真
日曜の午前十一時、史帆は駅前の証明写真機の中で、三度目の撮影を取り消した。
転職サイトに出す写真が必要だった。画面の中の自分は、目の下に薄い影があり、前髪の右側だけが浮いている。撮り直しはあと一回。八百円を無駄にしたくなくて、決定ボタンにも戻るボタンにも触れられなかった。
カーテンの外から「史帆?」と声がした。
翠だった。近くで用事があると聞いていたが、会う約束はしていない。史帆が顔を出すと、翠は紙袋を片手に笑った。
「こんなところで何してるの」
「履歴書。今の会社、辞めようかと思って」
口にすると、まだ誰にも言っていなかった決意が急に頼りなくなった。
翠は「そっか」とだけ言い、それから紙袋を持ち直した。左手の薬指に、見慣れない輪があった。
「私も報告。結婚する」
史帆は写真機の椅子に半分座ったまま、「おめでとう」と言った。
翠は指輪を見せ、相手がどんなふうに言ったか、役所へいつ行くかを短く話した。駅のアナウンスが重なり、肝心なところは二度聞き返した。
同じ二十七歳で、翠は結婚の報告をし、史帆は退職を考えて証明写真を撮っている。比べるつもりがなくても、二人の近況は並べるだけで、片方が完成品、片方が途中の下書きのように見えた。
「写真、見せて」と翠が言った。
史帆は出てきた試し画像を見せた。翠はしばらく真顔で眺め、「前髪、元気だね」と言った。
「やっぱ変だよね」
「ううん。転職しそうな前髪」
意味が分からず、二人で笑った。
翠は結婚するから整って見えるのではなく、史帆の知らないところで迷ったり、眠れなかったりしたあと、今日だけ指輪をしてここに立っている。それなら史帆の写真も、完成していなくて当然だった。
翠と別れ、もう一度カーテンを閉めた。画面には、右側だけ浮いた前髪の自分がいる。
史帆は撮り直さず、決定を押した。機械の中で印刷音が始まる。
完璧な顔ではない。けれど、今の会社を出ようとしている今日の顔ではある。
四枚つながった写真を受け取り、一枚だけ丁寧に切り離した。翠の結婚と同じ日付に、自分にも小さな始まりがあっていいと思った。