最後に読んだ者
銀木犀コウヤの両腕は鎖で縛られ、魔女エムレが黒い本を開いた。
《忘却書》
最終頁の最終行を視認した者を「読了者」とします。
読了者は、自分の名と役割を忘れます。
「声に出して読め。お前が誰かも分からなくしてやる」
エムレは本をコウヤの前へ置く。目を閉じれば、捕らわれた仲間が殺される。
コウヤは頁を読み進めた。最終頁には一行だけ。
《あなたは、ここまで読んだ者である》
視線を外せば助かる。だが魔女は鏡で瞼まで監視している。
コウヤは文を読まず、本の角度を少し変えた。
「何をしている」
「光が反射して読めない」
エムレは苛立ち、本を持ち上げて傾ける。最終行をこちらへ正しく向けようと、彼女自身が頁を覗き込んだ。
コウヤは目を閉じる。
「開けろ!」
魔女は最終行がどこまで見えているか確かめるため、顔を近づける。
《読了者を認証》
エムレの表情が空白になった。
「私は……誰?」
鎖を維持していた術者の役割が消え、コウヤの拘束がほどける。
仲間たちは魔女を倒せと叫ぶ。今なら抵抗できない。
コウヤは本を閉じ、エムレへ外套をかけた。
「あなたは敵だった。でも今は、それも覚えてない」
本の表紙には、これまでの読了者名が薄く刻まれている。魔女エムレの前に、何十人もの別名。彼女自身もかつて読まされ、役割を失った後に《魔女》として再設定された一人だった。
コウヤは本を焼かず、最終行を黒く塗り潰す。誰も新しい読了者にならないように。
《忘却書の読了者:エムレ》
《役割「魔女」を消去》
エムレは自分で名を選ぶまで、誰にも呼ばれたくないと言った。コウヤたちは《元魔女》とも《被害者》とも登録せず、空欄のまま町へ連れていく。
黒く塗られた最終行は、時間が経つと再生しようとした。コウヤは本を閉じたまま封印庫へ運ぶ。
読むことが知識を得る行為とは限らない。役割を押しつける文章もある。だから彼は、読ませないことを検閲ではなく救助として選んだ。
《戦闘勝利を取り消します――倒されたのは敵ではなく、説明文を読むたび別の敵役へ作り直されていた読者です》