最後の収穫祭
仮想農村セリカでは、秋になると必ず麦が実った。日照も雨量も管理され、虫害はイベントとして月に一度だけ起きる。
雁木穂波は四十年間、同じ畑を耕してきた。自分が住民AIだと知っていたが、気にしなかった。土は手につき、腰は痛み、収穫した麦で孫が太る。それで十分だった。
サーバー停止の告知が出た年、運営は住民に二つの選択を与えた。終了まで通常通り暮らすか、計算資源を節約するため即時休眠するか。休眠すれば、いつか再開される可能性があるという。
村人の多くは眠りを選んだ。穂波の息子も、孫を連れて保存施設へ入った。
「母さんも来て。目を閉じるだけだよ」
「畑の麦がまだ青い」
「どうせデータだ」
穂波はひとりで畑へ戻った。人手がないため、刈り取りまで間に合わない。それでも毎日、土を起こし、倒れた茎を結んだ。
停止一週間前、現実側の保守員が見学に来た。
「誰も食べない麦を、なぜ育てるんです」
「食べる人がいないと、麦は麦でなくなるのかい」
保守員は答えられなかった。
夜には、誰もいない家々の窓へ明かりをつけた。電力を浪費すれば終了が数分早まると警告されたが、暗い村で収穫する気にはなれなかった。最後くらい、帰る人がいるように見せたかった。
最終日、麦は黄金色になった。穂波は村の鐘を鳴らした。休眠中の住民は起きない。広場に並んだ椅子は空のままだった。
ところが夕方、空から人影が降りた。保守員と、その家族だった。彼は停止作業を一時間遅らせ、仲間も呼んでいた。現実の利用者たちが慣れない手つきで鎌を振るい、麦を束ねた。
穂波は最後のパンを焼いた。味覚データは外へ持ち出せないため、保守員たちは画面越しに匂いと食感を受け取った。
「おいしいです」と彼が言った。
「初めて作ったのに、上手な嘘だね」
空が暗くなる直前、穂波は種籾を一袋、畑へまいた。来年はない。それでも手は止まらなかった。
停止後、保守員は現実の休耕地を借りた。保存していた麦の形状データから品種を選び、初めて種を植えた。
収穫祭の日、彼は空席を一つ用意した。パンは少し焦げ、ひどく固かったが、誰も上手な嘘をつかなかった。