母の前で鳴った録音
真鳥野周継の母が退院した日、妻の瀬良垣美緒里は、介護を理由に母の家を売るべきだと言った。
「周継の稼ぎじゃ施設費も無理。家を現金にすれば、みんな楽になるのに」
“みんな”の中には、妻の交際相手である資産相談員・室生岡智景も含まれていた。
周継が二人の関係を指摘すると、美緒里は笑った。
「証拠は? お母さんだって、物忘れが始まってるんでしょう」
母は黙って、首から下げた見守り端末を外した。転倒時の状況を家族と病院へ送るため、本人の同意で室内音声を保存する機器だった。
再生されたのは、周継が病院へ迎えに行っていた朝の会話だった。
『家を売らせたら、周継には安い賃貸で十分』
『奥さん名義の口座へ移せば、旦那は気づきませんよ』
智景の声に続き、美緒里が母の判断能力を偽る診断書を用意できないか尋ねていた。
二人は録音の有効性を否定したが、母の弁護士は、日時情報と端末の改変防止署名を示した。加えて、智景が勤務先の顧客管理画面から母の資産情報を無断閲覧した記録も残っていた。
信託会社の監査担当が会議へ入り、智景へ懲戒解雇通知を渡す。顧客情報の私的利用と、不適切な財産処分の勧誘。会社からの損害賠償請求も始まるという。
周継の代理人は、美緒里と智景へ不貞慰謝料の請求書を置いた。ホテル記録とメッセージ履歴は、すでに公証人立会いで保全されている。
美緒里は母の前へ膝をついた。
「お義母さん、家族でしょう。話し合えますよね」
母は公正証書を開いた。自宅は地域の訪問看護拠点として財団へ信託し、周継には居住権を残す。美緒里には財産管理へ関与する権限を一切与えない内容だった。
さらに、美緒里の両親から電話が入った。娘の行為を知り、実家への出入りと援助を打ち切るという。
母は見守り端末を再び首へかけた。
「私を物忘れ扱いした会話は、よく覚えていますよ」
弁護士が信託契約へ確定印を押し、智景の社員証が失効する。
端末から〈記録保存完了〉の音が鳴った瞬間、追い出されるはずだった母と周継の家だけが守られ、二人の逃げ道はすべて閉じた。