母音だけのサビ

人の名に音程をつけて歌うと、戸籍上の文字一字につき、その人の寿命が一日減る。四文字の姓名なら四日。ライブハウスの出演規約には、固有名詞を歌詞カードで確認する欄があり、違反すると演奏者が医療費を負担する。

石動冴久のバンドでは、サビを「あ・あ・あ・あ」で通していた。本当はそこに、椎葉琴葉という四文字の姓名が入る。学生時代、琴葉が冴久の部屋を出ていった夜に書いた曲だった。

観客は意味のない母音を恋の歌だと思い、腕を上げて合唱した。配信サイトの歌詞欄にも四つの空白があり、コメントでは誰の名が抜けたのか当てる遊びが続いていた。冴久だけが正解を書かなかった。

「まだ母音だけなんだ」

解散ライブのリハーサルに、琴葉が現れた。別れて六年、彼女は左耳に補聴器をつけ、首から寿命票を下げていた。残り日数の欄は伏せられている。

「名前を歌ったら四日だ」

「知ってる。だから昔、止めたんでしょ」

当時の冴久は、恋人を歌で削るのが怖くて、完成した歌詞を破った。琴葉は、自分のための曲から自分だけ抜かれたことを、別れの理由にした。破片を拾い集めた彼女の指には、紙で切った細い傷が四本ついた。

本番、客は百二十人。名前は人数では増えず、一字一日だけ減る。客席に何人いても同じなので、係員は歌われる文字数だけを数えた。安全確認係がステージ脇で指を四本立てた。

最後のサビで、冴久はいつもの母音を吸い込んだ。最前列の琴葉は、補聴器の音量を上げ、顎を少し上げた。

冴久は四音を歌った。

ギターもドラムも、その瞬間だけ止まった。寿命票の角から細い煙が出て、琴葉は拍手の代わりに四本の指を折った。一本ずつ、確かめるように。

終演後、彼女の姿はなかった。楽屋の鏡に、古い歌詞カードがテープで貼られていた。母音だけだった四つの空欄に、黒いペンで名が戻されている。

カードの下には、補聴器の小さな電池が四粒と、弦で穴の開いた白いピックが置かれていた。ピックの表には「あ」、裏には、もう歌ってしまった四文字が細い字で並んでいた。