波を一枚ずつ折る航路
ティオゼを軍港へ置き去りにした艦隊は、穏やかな沖で三隻を衝突させた。
嵐ではない。風も弱い。ただ遠海から届いた長いうねりが、先頭艦を持ち上げた。後続艦は谷へ沈み、次の瞬間、船首が前の船尾へ突き刺さった。帆柱が折れ、隊列は一度で崩れた。
提督ダムロスは操舵手を罵った。
「この程度の波も読めぬのか!」
「波は読めました! ですが、いつもより船が持ち上がるのです!」
いつも波が低かったのではない。結界師ティオゼが、艦隊の前方へ斜めの面を何枚も置き、大きなうねりを小さく折り分けていたのだ。船を丸ごと包む防壁ではないため、提督には海へ線を引いて遊んでいるように見えた。
「海軍は波を恐れぬ」と彼を追放した直後、艦隊は敵影を見る前に曳航を求めた。
その頃ティオゼは、北の漁村で小舟に乗っていた。漁師頭イサナが、網いっぱいの銀魚を見て目を丸くする。
「年寄りの舟まで沖へ出られた。波が舟底へ当たる前にほどけていく」
「全部消すと海が淀みます。転覆させる高さだけを二つに割りました」
「軍艦より、暮らしを守る舟を選んでくれたんだね」
港へ戻ると、家族たちが大漁旗を掲げた。ティオゼのための旗には、剣ではなく、穏やかな三本の波が縫われていた。
そこへ海軍の高速艇が入り、濡れた士官が桟橋へ飛び降りた。
「提督命令だ。艦隊を外海から帰還させよ。復職すれば階級を一つ上げる」
ティオゼは漁村の旗を舟へ結び、士官へ敬礼だけを返した。
士官は艦隊の損傷一覧を読み上げたが、ティオゼへ謝る言葉だけは持ってこなかった。漁師たちは違う。出航前に結界の限界を聞き、波が高すぎる日は舟を出さないと決めている。術を万能の盾にせず、海を恐れる知恵の一つとして扱ってくれた。桟橋では、初めて沖へ出られた老漁師が、孫へ銀魚を手渡していた。軍艦を一隻多く進ませるより、この一尾を無事に家へ届けるほうが、今のティオゼには誇らしかった。
「海軍との契約は、出港前に終了しています」