海へ出す青封筒
灯台の裏口に、青い封筒だけを受け付ける細い投函口があった。
海水で封をすれば、遺体の帰らなかった人へ届き、満潮のあとに一度だけ返事が戻る。
港の気象観測員は、十五年前に海で行方不明になった兄へ書いた。
「捜索をやめた日から、私だけが諦めたように思っています。
家の船を売ってもいいですか」
兄は漁師だった。
嵐の前に船を出し、戻らなかった。
父は五年捜し、母は十年港へ通った。
二人が亡くなったあとも、妹は古い船を係留したままにしていた。
誰も乗らない船へ修理代を払い、毎朝、兄が帰れる岸壁を空けた。
封筒を海水へ浸し、灯台の投函口へ入れた。
翌日の満潮後、同じ封筒が濡れずに戻ってきた。
兄の字が一行ある。
「船より先に、私を待つのをやめてくれ」
妹は腹を立てた。
十五年待たせた人が言う言葉ではない。
もう一度書きたいが、返事は一度だけという決まりだった。
封筒の裏へ、まだ薄い文字が浮かぶ。
「ただし、捜した年月まで無駄にするな」
意味が分からないまま、妹は船を売りに出した。
買い手は若い夫婦だった。
観光船へ改装し、海の生き物を子どもへ見せたいという。
引き渡し前、船倉を片づける。
奥から、兄の古い航海日誌が出てきた。
最後の頁ではなく、数年前の頁へ、妹について書かれている。
「気象の勉強を続けたいらしい。漁師にしなくてよかった。
俺より海を長く見られる仕事だ」
妹は初めて、兄が自分を家業へ戻したいと思っていなかったと知った。
父母は「兄の代わりに」と何度も言ったが、兄自身の言葉ではなかった。
若い夫婦へ航海日誌を渡さず、灯台の資料室へ寄贈した。
事故の記録だけでなく、日々の風向きや、兄のくだらない絵も残す。
観光船の初航海の日、妹は気象情報を提供した。
空は穏やかだが、午後から風が強くなる。
予定を短くするよう勧めると、船長は素直に戻ってきた。
岸壁へ船が着く。
子どもたちが兄の船から降り、見た魚の話をする。
妹は、帰らなかった一人ではなく、今日帰ってきた人たちを数えた。
青い封筒は灯台へ保管した。
二度目は送れない。
兄を忘れたわけでも、捜索を後悔したわけでもない。
待つために空けていた港を、帰る船のために使う。
それが、兄から返された最後の一行の続きだった。