海へ向かう各駅停車
水科宗吾は、土曜の朝、行き先を決めずに駅へ行った。
券売機の上に貼られた路線図を眺め、海へ向かう青い線を選ぶ。終点までの切符を買ったが、途中で降りてもよいと思っていた。
普段の出張では、乗り換え時間も座席も決める。
今日は各駅停車。車内は空いていて、宗吾は窓側へ座った。電車は住宅地を抜け、畑の間を走り、少しずつ空を広くした。
三十分ほどして、「風待」という小さな駅名が目に入った。
響きが気に入り、宗吾は反射的に降りた。
ホームには屋根が半分だけあり、改札は無人。海は見えないが、風に塩の匂いが混じっていた。
駅前には、食料品店と郵便局、それから古いベンチが一つ。
宗吾は食料品店で、鯛めしのおにぎりと温かい缶茶を買った。店の女性が「海なら坂を下って十分」と教えてくれた。
坂道は思ったより急だった。
途中で猫が石垣の上から見下ろし、洗濯物が強い風にはためいていた。海へ着くと、観光地らしいものは何もない。細い防波堤と、小さな漁船が三艘。波が石へ当たり、白くほどけている。
宗吾は防波堤の手前へ座り、おにぎりを開いた。
鯛の身は細かく、ごはんに生姜が混じっていた。冷たい風の中で食べると、米の温度が掌から戻ってくる。
誰かに写真を送ろうとしたが、携帯は鞄へ戻した。どこにいるか説明しなくても、自分はちゃんとここにいる。
一本後の電車で終点まで行くつもりだった。
けれど波を見ているうちに二本見送り、午後になった。帰りの時刻だけ確認し、同じ駅から来た道を戻る。
ホームのベンチで缶茶の残りを飲んだ。
駅舎の軒には古い網が干され、風が来るたび硬い結び目を鳴らした。宗吾はその音を聞きながら、切符の行き先より今いるホームの方を長く眺めた。
電車が来るまで、風は何度も向きを変えた。駅名どおり、待っている時間そのものがこの場所の用事のようだった。
帰りの車内で、宗吾は切符をポケットから取り出した。
終点まで買った切符なのに、行かなかった場所が残っている。損ではなく、次の休日の余白に見えた。
上着には海風と生姜の香りが移り、窓硝子へ映る自分の顔は、朝より少しだけゆるんでいた。