海図は血印を忘れない

港湾宮の祝賀会で、フロレンザ・アマランは海賊への内通者とされた。

婚約者ハイラム・セイラが、奪われた軍用海図を卓上へ広げる。

「この女が航路を売ったせいで、護送船が襲われた。婚約を破棄し、投獄を求める!」

海図の余白にはアマラン家の印があった。だがフロレンザは波音を聞くように目を閉じ、海図貸与契約を一枚置いた。

「軍用海図は複写できません。第八条により、開封者の血印を原本へ焼き付けます」

彼女が契約を海図へ重ねると、余白の家印が消え、中央に一つの血印が浮かんだ。ハイラムの親指の形だった。

「私の家印は外箱の所有印です。海図を開いた者の印ではありません」

海図は一度しか開封されていない。つまり、敵へ渡した者も一人だけ。

その航路は、浅瀬を避けながら護送日数を二日縮める、フロレンザの十年分の研究だった。彼女は潮位表を抱えて漁村を歩き、船乗りたちの事故記録を読み込んだ。ハイラムは成果だけを婚家のものにしようとし、最後には海賊へ売って彼女の家印を残した。襲われた船のことを思えば、彼女も無傷ではいられない。だが罪悪感と罪は別だ。責任を感じるからこそ、犯していない罪まで引き受けてはならないと、彼女は海図を押さえた。

ハイラムは血の気を失いながらも言い張った。

「君に頼まれたのだ。そういうことにして婚約を続ければ、二人とも助かる」

「私一人を沈めようとした船へ、もう乗る気はありません」

祝賀会の主催者、海洋公レオグリフ・マレスタが一人だけ席を離れた。彼は海図を取り上げず、フロレンザの証拠が皆に見えるよう卓上の灯りだけを寄せる。

「海上法廷は血印を受理する。護送船の件は再審だ」

そして彼女へ向き直る。

「私は新しい航路局を作る。箱の印と中身の責任を混同しない者に、長を任せたい」

「公爵閣下の命令ですか?」

「依頼だ。断る自由も含めてな」

ハイラムが海図を踏みつけ、「お前は私なしでは社交界に戻れない」と吐く。

フロレンザは港の大扉へ向かって彼に背を向けた。潮風の中で待つ海洋公の手を、自らの航路を選ぶように取った。