消えた売上の午後
「今日の売上が、全部消えています」
導入支援を担当する黒瀬莉子へ、取引先から初めて怒りの電話が入った。会計アプリの切り替え初日。相手は三店舗を束ねる経理責任者で、夕方の締め作業が止まっているという。
莉子が共有画面を見ると、ダッシュボードは確かに零円だった。先輩はチャットで〈同期に時間がかかると伝えて。明日には出る〉と送ってきた。
だが取引履歴には、数百件のデータがある。消えたのではない。表示だけが拾えていない。
莉子は日付欄を開き、今日の範囲が午前九時から翌午前九時になっていることに気づいた。移行時、標準時が日本時間ではなく世界標準時へ戻っていたのだ。現在時刻の売上は「前日」に分類されている。
「データは残っています。まず表示時刻を戻します」
取引先はほっとした後、さらに低い声で尋ねた。「では、昨日までの月報は正しいんですか」
莉子の手が止まった。画面を直せば、今日のクレームは収まる。けれど月末をまたぐ取引は、別の日へ計上されている可能性がある。
先輩から〈表示障害で閉じて。月報まで広げない〉と届いた。
莉子は障害票の分類を「軽微」から「会計影響調査」に変えた。まずテスト用に百円の取引を一件作り、日本時間と世界標準時のどちらへ入るかを確認する。三店舗の時刻設定を修正し、月初からの集計を再計算した。月末深夜の売上が翌月へずれ、店舗ごとに数千円の差が出ていた。差額は小さかったが、零ではなかった。
「修正版を本日中に出します。こちらの確認不足です」
電話の向こうで、経理責任者が息を吐いた。「小さい差でも、先に言ってくれるほうが助かります。零円を見た瞬間、移行そのものをやめようと思いました」
莉子は、復旧した数字だけでなく、再計算前後の一覧を一枚にして送った。
莉子は導入手順書に、タイムゾーン確認を最初の項目として追加した。設定画面のスクリーンショットも添える。
退勤時刻を過ぎ、次週の新規導入案件が未割り当てのまま残っていた。先輩が「しばらく問い合わせ対応だけにする?」と聞く。
莉子は修正版の月報を送信し、そのまま案件表を開いた。
〈次回導入担当:黒瀬莉子〉
自分の名を入力し、確定を押した。