消えない修正履歴
倉橋蕗乃の企画名が消えたのは、プレゼン前日の午後だった。
共有資料の表紙には、営業部長の名前だけが残っている。町田実日子は、会議で言えばいいと即座に言った。蕗乃は首を振った。声を上げた人が「扱いづらい」と記録される会社で、正しさだけでは次の仕事が来ない。
実日子は、黙ってやり過ごすほうが長く残ると思ったことがない。蕗乃は、残らなければ変えられないと思っている。二人は同じチームでも、戦い方が逆だった。
翌朝、部長は蕗乃に議事録係を命じた。プレゼン資料を操作するのは実日子だった。
画面に企画のキービジュアルが出る。部長が「私が考えた若年層向けの導線です」と説明した。蕗乃は下を向き、発言をそのまま打った。
実日子の指が、共有履歴のボタンへ動く。蕗乃は机の下で首を横に振った。会議には取引先もいる。ここで争えば企画そのものが止まるかもしれない。
質疑で、取引先の女性が尋ねた。
「最初の案から、どなたがユーザー調査を?」
部長が答える前に、蕗乃は議事録の共有設定を変更した。参加者全員の画面に、作成者名と更新時刻が表示される。実日子も同時に修正履歴を開いた。
《倉橋蕗乃 初版作成》
《町田実日子 調査結果追記》
消された表紙より、履歴のほうが長く残っていた。
部長は「チームの成果です」と言い換えた。蕗乃は反論しなかった。実日子も勝ち誇らなかった。二人で、配布用の履歴一覧をテーブルに置いた。一枚ずつ、取引先と社内の席へ同じ順番で配った。
取引先の女性は帰り際、蕗乃にユーザー調査の質問を一つだけした。部長を飛ばしてではなく、担当者として。蕗乃が答える間、実日子は次の会議室を押さえ、資料の閲覧権限を担当者全員へ広げた。名乗ることと仕事を続けることを、別々の選択にしないためだった。
会議後、実日子は「もっと言えばよかった」と言った。
「言わなくても残った」
「次は言う」
「次も履歴は残す」
意見は合わない。
蕗乃は共有資料の表紙を開き、担当者欄を二行にした。実日子は横から保存ボタンを押した。