消さなかった安全会議

「予定どおり流します。止めれば違約金ですよ」

建設会社《東嶺組》の工事部長、榊が言った。机には前回と同じ橙色のヘルメット。会議室の窓の向こうでは、生コン車が高架橋の型枠へ列を作っている。

辰巳玲司は、ヘルメットの傷を親指でなぞった。

一度目の人生で、現場監督だった玲司は異臭と柔らかすぎるコンクリートに気づいた。それでも榊の言葉に従い、打設を続けた。半年後、高架の一部が崩落。幸い死者は出なかったが、補修費と営業停止、信用失墜で会社は破綻した。榊は「現場が勝手に配合を変えた」と証言し、玲司だけが責任を負った。

判決の日、胸ポケットに入れていた録音機を握った瞬間、彼はこの安全会議へ戻った。

同じ録音機が、今も作業着の内側で赤く点滅している。

橋の下には、来春から通学路になる道路が見えた。前回は補修用の足場で十か月も塞がれた場所だ。工期表より先に、そこを歩く子どもの顔を想像できたのは二度目だからだった。

榊が身を乗り出す。

「予定どおり流します。君が責任者だ」

前の玲司は「分かりました」と答えた。

「いいえ。打設を止めます」

「会社を潰す気か?」

「止めなければ潰れるんです」

玲司は窓を開け、無線へ告げた。

「全車停止。第三車の試料を第三者検査へ回せ。水を足した形跡がある」

榊が録音機へ手を伸ばす。玲司は一歩退き、再生ボタンを押した。

『規格はどうでもいい。薄めた分は仕入先と分ける』

会議開始前、廊下で榊が業者へ話していた声だ。前回は恐ろしくて消去した。今回は、ループした直後に保存先を三つへ増やしてある。

役員が立ち上がり、榊の入館証を停止した。生コン車の列は動かない。現場には怒号ではなく、検査員の靴音が響いた。

午後一時。前回なら発注者から工程遅延の違約通知が届く時刻だった。

玲司の端末に表示されたのは、別の文面だった。

『規格外品を打設前に隔離した判断を評価し、契約を継続する』

続いて現場所長から無線が入る。

「辰巳、正規配合の車が着いた。お前の合図を待ってる」

前の人生で奪われた開始の権限が、初めて玲司の手へ戻った。