火曜日の猫は曜日を知らない
鳥居坂茂は、火曜日が嫌いだった。
薬局の棚卸しがあり、閉店後も数字と錠剤の箱を数える。帰宅はいつも十一時すぎ。商店街の灯りは消え、総菜屋の換気扇だけが、揚げ油の匂いを細く吐いていた。
ある火曜日、アパートの郵便受けの上に茶白の猫が座っていた。
「そこ、郵便が取れない」
茂が言うと、猫は一度だけ鳴き、床へ降りた。代わりに彼の足へ体を擦りつけ、そのまま階段を二階までついてきた。
部屋へ入れるつもりはなかった。水だけ出し、玄関先で別れた。
ところが次の火曜日にもいた。その次も、そのまた次も。
茂はいつしか、棚卸しを終えると猫用の小袋を買うようになった。猫を「火曜」と呼び、玄関に座って一週間分の愚痴を聞かせた。
「湿布の場所を三回も訊かれた」
「新しい店長は数を急かす」
「今日は昼飯が四時だった」
火曜は食べ終えると、茂の膝へ前足を乗せた。慰めているのか、もう一袋よこせと言っているのかは分からなかった。
十一月のある水曜、茂は風邪で仕事を休んだ。
夕方、窓の外から聞き慣れた鳴き声がする。覗くと、火曜が非常階段の踊り場にいた。
「今日は水曜だぞ」
窓を開けると、猫は迷わず室内へ入り、畳の真ん中で丸くなった。
翌日も、その次の日も、同じ時刻に現れた。
大家に聞くと、「あの子、毎晩あなたの部屋を見上げてるよ」と笑われた。
「火曜だけじゃなかったんですか」
「あなたが火曜しか早く見つけられなかったんでしょう」
茂はしばらく黙った。
自分が帰らない夜にも、誰かが待っていた。その事実は、嬉しいより先に、少し申し訳なかった。
週末、病院で健康診断を受け、迷い猫の届けを確認し、首輪を買った。青い布に、小さな銀の札がついている。
名前の欄には、迷わず「火曜」と書いた。
「曜日を間違えてるけどな」
首輪をつけると、火曜はくしゃみを一つした。
それから茂は、火曜日以外もなるべく灯りのあるうちに帰るようになった。部屋では薬草茶を沸かし、火曜は湯気のそばで目を細める。
嫌いだった曜日は、今では一週間の真ん中にある小さな目印だ。帰宅すると畳は猫の体温を残し、湯呑みからは薄荷と蜂蜜の匂いが静かに立ち上がった。