焼き上がりは十二時

 国枝源蔵は、毎朝ひとつだけ丸パンを買いに来た。

 代金を払うためではなく、芦名円の焼き上がりを笑うためだと、商店街の誰もが知っていた。

「また膨らみが不揃いだ。学校給食なら返品の山だな」

 国枝は向かいで大きな製パン工場を経営している。今月、市の給食用パンが十年ぶりに公募となり、彼の工場と、円が働く小さな店《麦灯》も応募していた。

 審査は番号だけを付けたブラインド方式。香り、塩分、翌日の柔らかさ、原材料費まで三日かけて採点される。円は半年間、児童が噛み切りやすい厚みと、牛乳なしでも固くならない配合を試してきた。失敗した生地の記録だけで、大学ノートが四冊になっている。

「身のほどを知ったほうがいい」

 国枝はパンを指で押しつぶし、そのままトレーへ戻しかけた。

 円は新しい袋へ取り替え、「お買い上げになった商品ですので、お持ち帰りください」と差し出した。

「客に説教か?」

「衛生上のお願いです」

 店主が奥から出ようとしたが、円は首を振った。今日の正午、結果が出る。言い返すより、オーブンの温度を一度確認するほうが大事だった。

 国枝は袋を受け取らず、カウンターへ工場のパンフレットを広げた。

「もう配送車を増やした。年間十八万個だ。学校名入りの箱まで発注した。君らの手ごねでは、会議の試食皿にも乗らん」

「審査用のパンは、もう提出しました」

「だから笑ってるんだよ」

 昼前、商店街の放送設備が小さく鳴った。市役所からの給食事業者発表は、衛生管理のため全応募店へ同時中継されることになっていた。

 国枝は腕時計を見て、店の中央に立つ。

「勉強させてもらうか。負けた店がどんな顔をするのか」

 円はオーブンから次の天板を出した。焼きたての香りが、国枝のパンフレットの上まで流れていく。

『応募総数十四社。最終審査では、翌日でも最も柔らかく、地元産小麦の風味を生かした試料十七番が最高得点を獲得しました』

 国枝の笑みが止まった。彼の工場は試料三番だ。

 放送の声が、採用事業者名を読み上げた。

『麦灯。製造責任者、芦名円さんです』