煮込みハンバーグの真ん中
婚約を解消して一週間、鳴海千鶴は母から届けられた弁当を会社の休憩室で開けた。赤いソースに包まれた煮込みハンバーグが一個、ごはんの中央に置かれている。母は理由を聞かず、「食べられるものを送る」とだけ連絡してきた。
婚約者と別れたのは、子どもを持つかどうかで意見が分かれたからだった。千鶴は望まない。彼は、結婚すれば気が変わると言った。母も昔から、孫の顔を見るのが夢だと笑っていた。
破談になったと話したとき、母は電話の向こうで長く黙った。千鶴は、相手の浮気だったことにしてしまおうかと何度も思った。自分の選択を言えば、母の夢まで拒んだ娘になる。その怖さが、誰にも言えない悩みだった。
弁当箱は保温袋の中でまだ温かく、トマトの香りが立った。箸を入れると肉は柔らかく割れた。母のハンバーグには、子どものころから真ん中にチーズが入っていた。千鶴はそれが苦手になり、大学生のころ一度だけ、もう入れないでと言った。母は残念そうな顔をしたが、次から本当にやめた。
今日の真ん中にも、何も入っていなかった。空洞ではなく、肉がそのまま続いていた。
千鶴は外側から細く切り、中央だけを最後に残した。願いをかなえないことと、中身がないことを、同じにされたくなかった。子どもを持たない人生にも、仕事や友人や、朝寝坊する日曜や、まだ知らないものが詰まるはずだ。
最後の一切れを食べる。肉の歯触りは外側と変わらなかった。母は一度伝えた好みを、何年も覚えていた。夢を手放すのに時間がかかる人でも、変わらない人だと決めつける必要はない。
千鶴は空の箱の蓋へ、付箋を貼った。
「子どもを望まない私を、彼は待てなかった」
母を責める言葉も、許しを乞う言葉も足さなかった。
付箋を書いたあとも、千鶴の指は少し震えた。母がすぐ理解する保証はない。傷つく言葉が返るかもしれない。それでも、真ん中に望まないものを詰められたまま結婚するより、自分の中身を自分の言葉で見せるほうを選びたかった。
宅配便の返送袋へ箱を入れる前に、赤いソースを一滴だけ指でぬぐい、最後まで食べた。