燃える窓の旧校舎
旧校舎が取り壊される前日、私たちは最後の鍵を借りた。
耐震工事のため、来週から美術室も倉庫もなくなる。新校舎に移せるものは運び終え、廊下には四角い埃の跡だけが残っていた。油絵具と古い木の匂いだけが、部屋の形を覚えていた。
「本当に何もないね」
先輩が言った。
卒業して半年。取り壊しの話を聞き、わざわざ町へ戻ってきた。
私たちは二年間、放課後をこの美術室で過ごした。窓際には先輩のイーゼル、流しの横には私の絵の具箱。けれど今は、夕日だけが空っぽの部屋へ差している。
向かいの窓がオレンジ色に燃え、床へ長い格子の影を落としていた。
「壁の落書き、残ってるかな」
先輩が隅の棚を動かした。
裏には、小さな鉛筆の線があった。
『ここから先は、まだ描いていない』
文化祭前、完成しない絵に焦っていた私へ、先輩が書いた言葉だった。
「持って帰れないね」
「壁だからね」
写真を撮ろうとしたが、先輩が止めた。
「撮らなくていい」
「消えますよ」
「消えるから見に来たんだろ」
先輩は窓を開けた。
冷たい風が入り、床の埃が舞った。光の中で、細かな粒が金色に見えた。
先輩は卒業後、絵をやめた。デザインの専門学校へ行くと思っていたのに、家業を手伝っている。
「後悔してますか」
私が聞くと、先輩は燃える窓を見た。
「まだ分からない。お前は?」
「描き続けるか、分かりません」
「じゃあ同じだ」
空っぽの部屋で、私たちは未来の話をした。夢を持ち続けることより、持てなくなった自分をどう扱うか。答えは出なかった。
日が沈み、窓の火が消えた。
先輩は壁の言葉を指でなぞった。
「ここから先は?」
「まだ描いてない」
「なら、消えるのは途中までだ」
鍵を返す前、私は床に落ちていた短い鉛筆を拾った。
翌日、旧校舎は囲いで見えなくなった。
取り壊しの音を聞きながら、新しい美術室で白い紙を広げた。
最初の線は、旧校舎の窓から差していた夕日の色にした。
建物はなくなった。
でも、終わりの光が、次の絵の下地になった。