爪の下の制服
再鑑定報告の送信期限は、午後五時だった。
法医研究員の轟木葉月は、十六年前の河川敷女性殺害事件から採取された爪の試料を前にしていた。最新の解析で得た男性DNAは、警察職員データベースの一人と一致した。警察学校教官、御厨史郎。事件当時は同じ署の巡査だった。
鑑定室へ御厨本人が入ってきた。立会い名簿にはない。
「救命措置をした。接触して当然だ」
「あなたの臨場記録はありません」
「非番だった。通りかかった」
葉月は古い現場写真を示した。被害者の爪は折れ、皮膚片が深く入り込んでいる。救命措置の接触ではない。さらに御厨のDNAは、右手だけから高濃度で出た。被害者が抵抗して掻いたと考えるのが自然だった。
御厨は白衣の袖口を見つめた。
「当時、私は聴取された。だが上司が、署員のDNA混入として処理した」
「原鑑定書には混入の記載がない。今日、課長が追記を命じました」
「県警の信用を守るためだ」
「あなたを守るためでは」
御厨は顔を上げた。
「私にはアリバイがある。事件時刻、署の裏金を署長の車へ運んでいた。記録には残せない仕事だ。殺害現場へ行ける時間はなかった」
葉月は息を止めた。御厨のDNAは犯人の証拠であると同時に、別の警察犯罪の証拠でもあった。
「では、なぜ爪の下に」
「被害者はその前夜、交番へ相談に来た。私は追い返した。腕をつかまれ、振りほどいた。そのときだろう。翌日殺された。相談記録を残していれば、守れたかもしれない」
御厨の声には、罪悪感と保身が同じ量だけ混じっていた。
「真実を書けば、私は懲戒だ。裏金も出る。だがDNAだけを書けば、私は殺人犯になる。君の上司はそれを望んでいる。古い事件に一人の悪い警官を差し出して、残りを洗うつもりだ」
午後五時まで二分。報告画面には「単独犯との一致」と入力されていた。
葉月はその一文を消した。代わりに、DNAの由来を断定できないこと、相談記録の抹消、裏金運搬の自認、上司による結論誘導をすべて記す。正義は御厨を免罪もしなければ、生贄にもさせない。
送信先を県警だけでなく検察監察窓口にも追加した。
御厨が「全員を敵にするぞ」と言ったとき、葉月は生データを添付し、送信を押した。