片方だけのカップ
瀬戸川春香は、布に包んだ割れたカップをカフェ〈半月〉のカウンターへ置いた。
「同じものを探してもらえませんか」
バリスタの土岐忍は、左右で違うカップを使う。客には白、自分には青。右耳だけに青いガラスのピアスを下げ、何かを一つ失くした人を見ると決まって言った。
「片方は、欠けじゃない」
春香のカップは、亡くなった祖母が母へ贈った二客組の片方だった。薄い桜色に金の縁。母が大切にしており、実家の片づけを任された春香は、割ったことをまだ言っていない。
「メーカーは廃業してます。同じ柄なら中古で見つかるかもしれません」
「同じでないと困るんです」
「割ったのは、落としたからですか」
忍は破片の一つを指した。床へ落ちたなら底が先に砕ける。けれど割れているのは持ち手の反対側で、何かへ強くぶつけた形だった。
春香は目をそらした。
実家の片づけを、兄も母も仕事を理由に春香へ任せた。祖母の衣服を分け、薬を捨て、冷蔵庫の古い瓶まで一人で処分した夜、母から「カップだけは絶対に傷つけないで」と電話が来た。
『大事なのはそれだけ?』
誰もいない台所で叫び、カップを流しへ置こうとして、力が入りすぎた。割れた音に驚いたあと、自分が壊したかったのは器ではなかったと分かった。
「同じものに替えたら、なかったことにできます」
「できません」
忍は即答し、白いカップへ珈琲を注いだ。青い自分用のカップにはミルクを入れ、二つを春香の前へ並べる。
「混ぜたいなら、どちらへ注いでもいい」
「セットじゃないのに?」
「片方は、欠けじゃない」
忍は金継ぎ工房のカードを出した。直せば継ぎ目は金色に残り、割れた事実は消えないという。
「お母さまに渡す前に、あなたが一度これで飲む。怒って割ったことも話す。そのうえで、直すか捨てるかを持ち主に決めてもらう」
「嫌われるかもしれません」
「カップの代わりに、あなたが割れたままでいる必要はないでしょう」
声音は相変わらず平らだったが、忍は細かな破片まで布から拾い、紙の小箱へ一つずつ収めてくれた。
会計のとき、春香は右耳のピアスを見た。
「それも、片方を失くしたんですか」
忍は首を振り、レジ脇の青いカップを持ち上げた。持ち手の小さな穴に、もう片方のガラス玉がカップチャームとして揺れていた。
「最初から、耳につけるのが一つ、器につけるのが一つです」
「二つなのに、そろってない」
「そろうことと、同じであることは別です」
忍は割れたカップの箱へ金色の紐を結んだ。
「片方は、欠けじゃない。直す前から、そうです」