片方の手袋店

冬の商店街に、片方の手袋しか売らない店があった。

棚には右手用ばかりが並び、値札には名前ではなく「母」「友人」「あの日の自分」と書かれている。

妻を亡くした老人は、「妻」と書かれた灰色の手袋を選んだ。

店主が言った。

「はめれば五分だけ、その人と手をつなげます。代金は、その人の遺品を一つ」

老人は妻の青いスカーフを渡した。

冬ごと首へ巻き、匂いが消えても手放せなかった物だ。

川沿いの道で手袋をはめる。

見えない指が、右手へそっと絡んだ。

妻の手だった。

少し冷たく、親指の節が硬い。

老人は歩きながら話した。

娘が心配していること。

一人の食事が面倒なこと。

スカーフを渡したこと。

握る力が強くなった。

怒っているのかと思った。

「ごめん」

老人が言うと、見えない手が引っ張った。

道の反対側に、幼い子どもが転んでいる。

母親は荷物で両手がふさがっていた。

老人は子どもを起こし、片方の手で帽子の土を払った。

その間も妻の手は離れなかった。

五分が終わる直前、手は老人の掌を一度押した。

昔、妻が「あなたがやりなさい」と用事を任せるときの合図だった。

消えたあと、老人は店へ戻った。

「もう五分買いたい」

「遺品をもう一つ」

店主は棚の奥を見た。

家には、妻の食器、時計、手紙、服。

いくらでもある。

全部差し出せば、何度も手をつなげる。

老人は手袋を外した。

「やめます」

「よろしいので?」

「さっき、別の手を起こせたから」

スカーフは戻らない。

老人は首元の寒さを、しばらく後悔した。

春、娘の子どもが生まれた。

老人は恐る恐る小さな手を握った。

弱い力で、人差し指をつかまれた。

妻とは違う手なのに、掌を一度押す癖だけがよく似ていた。

片方の手袋は引き出しに残した。

もう妻の手は現れない。

それでも外へ出る日、右手にはめる。

左手を空けておくためだ。

誰かを支える手。

買い物袋を持つ手。

娘と横断歩道を渡る手。

亡くした人とのつながりは、遺品の数では測れない。

その手から教わった温かさを、次の手へ渡せる間は、完全には離れていなかった。