片方の銀拍車
砂城アル=ハディルが朝までに落ちることは、誰も口にしなかった。
城代ジャーファル・サリムは、敵王子の銀拍車を卓へ置いた。砂に磨かれ、星形の歯が一本欠けている。持ち主は昼の乱戦で死んだ。首は敵が持ち帰り、右足の拍車だけが城に残った。
ジャーファルは王子が生きていると偽り、女と子の退去を交換条件にした。
夜半、敵軍の大将ラフドが一人で城門の狭間へ来た。二人の間には鉄格子。卓には銀拍車が一つ。
「殿下の声を聞かせろ」
「喉を斬られて話せぬ」
「顔を見せろ」
「明るくすれば、そちらの弓が届く」
「死んでいるな」
ジャーファルは答えなかった。否定を急ぐ者は嘘をつく。
ラフドは格子越しに拍車を拾い、指へ通した。
「殿下は左足にしか拍車を着けない」
罠だった。ジャーファルは昼、遺体を見ていない。拾った兵は右足にあったと言っただけだ。ここで言い直せば終わる。
彼は拍車の内側を見た。革に擦られた跡が片側だけ深い。騎手が踵を外へ開く足につく傷だ。王子の肖像では、右膝がわずかに外を向いていた。
「では、その銀は偽物だ」
「何」
「殿下は右足を開いて乗る。左なら擦れは逆につく。お前ほど近くに仕えた男が、それを知らぬはずがない」
ラフドの顔から探る色が消えた。王子が左にしか着けないというのは嘘だ。嘘を返され、自分の記憶まで疑った。
ジャーファルは鉄格子へ近づいた。
「王子を返してほしければ、月が西塔へ触れるまで攻めるな。その間、東門から民を出す」
「兵も混ぜるつもりだろう」
「混ぜる。見つけたら斬れ」
正直な言葉は、嘘の隣でよく働く。
ラフドは銀拍車を握った。王子が死んでいると断じて攻めれば、もし生きていた場合に自分が王家を殺す。待てば、城兵を逃す。どちらも傷になる。
「月が塔へ触れるまでだ」
ジャーファルは頷いた。
ラフドが去ると、王子の首を見た兵が小声で問うた。
「朝になれば露見します」
「朝には城がない」
西塔の石に月の縁がかかった。
ジャーファルが銀拍車を握り潰す前に、アル=ハディルの東門が開いた。