片耳の兜

ローデンは、片方の頬当てがない兜をかぶった。

銀狼の飾りが額で凍っている。北方侯エドラスが十年前、敵将ヴァルケンに左耳を斬られた合戦から使い続けてきた兜だった。頬当てを直さないのは、敗北を忘れぬためだと兵は言う。

今夜、その敗北を覚えている敵にだけ用があった。

「侯はもう雪門を越えた」

副官ミレフが低く言った。

退却する五百の兵と百人の民は、山腹の雪道を進んでいる。朝までに氷砦へ入れば助かる。だがヴァルケンの騎兵は、すぐ谷へ追いつく。

ローデンは兜の下へ白髪を詰めた。侯より二十歳若い顔は、吹雪が隠してくれる。

「敵はおまえの声を知りませんか」

「侯の声も知らん。十年前、耳を斬ったあと名乗り合わなかったそうだ」

「顔は」

「なら、近くまで来させなければいい」

凍った礼拝堂の前へ、白旗を立てた。ローデンは石段に座り、侯の長剣を膝へ置いた。ヴァルケンの軍勢が谷口を塞ぎ、松明が雪を赤く染めた。

敵将だけが十歩先まで進んだ。兜を見て馬上で笑う。

「ようやく耳の借りを返す気になったか、エドラス」

ローデンは顔を上げなかった。

「兵を逃がせ。俺は残る」

「敗将の首一つで五百を買えると思うか」

「おまえは兵を欲しがっていない。十年前を終わらせたいだけだ」

沈黙が落ちた。吹雪の向こうで、退却隊の橇が軋んでいる。聞こえない距離へ行くまで、あと百息。

ヴァルケンは剣を抜いた。

「兜を脱げ」

これが読み合いの終わりだった。脱げば偽者と分かる。脱がなければ、敵は侯の臆病を疑う。

ローデンは立ち、長剣を雪へ突き立てた。

「十年前、斬ったのは左耳ではない」

ヴァルケンの眉が動いた。侯しか知らない傷の位置を、ローデンは出立前に聞いていた。

「右だ。おまえは吹雪で左右を取り違えた」

敵将の手が止まった。記憶を疑う者は、目の前の事実まで疑う。

遠い山で角笛が一度鳴った。五百が氷砦へ着いた合図だった。

ローデンはようやく兜を脱いだ。若い顔に雪が刺さる。

ヴァルケンの怒声が上がるより先に、山上の氷砦で避難門が開いた。