猫又は手紙を投函しない
午前零時から三時まで開く「宵待郵便局」には、出せなかった手紙だけが届く。
依子が窓口へ封筒を置くと、縞の着物を着た男が、首の金色の鈴を鳴らした。
「封をした言葉は腐る」
二本の尻尾を椅子の下へ隠した猫又、鈴墨だった。人間の手紙は言い訳の匂いがする、と露骨に鼻をしかめる。
依子の封筒には、三年付き合った恋人への別れが入っていた。
優しくて、仕事も安定していて、家族にも好かれている。嫌いなところがない。ただ、来月一緒に暮らそうと言われた瞬間、嬉しいより先に息苦しいと思った。
面と向かえば、相手の悲しい顔に負けて撤回してしまう。だから手紙を届けてほしかった。
「速達で」
「投函しない」
「郵便局でしょう」
「腐った物を運べば、毛に匂いがつく」
鈴墨は爪で封を切った。依子が抗議するより早く、便箋を灯りへ透かす。
「『あなたは何も悪くない』が三回。『私の問題』が二回。肝心の理由は一行もない」
「理由なんて、ありません」
「ある。嫌われたくないのだ。別れる相手にまで」
胸の奥を、爪で引っかかれた気がした。
鈴墨は便箋を返し、窓口の小さな録音機を押した。
「読め」
「これを?」
「腐る前の声で」
依子はつかえながら読み始めた。途中で言葉を変えた。
あなたが悪くないから、私は残らなければならないと思っていた。でも、いい人を好きでい続けられない自分を、悪い人だと決めたくない。
録音機の赤い灯が消えるころには、涙も止まっていた。
「これを送ってください」
「投函しない」
鈴墨は録音データを依子のスマートフォンへ移した。そして、恋人の番号を表示したまま返す。
「自分で会う日時を決めろ。手紙は逃げ道ではない。だが、声が出なくなったら聞かせればいい」
依子が局を出ようとすると、金色の鈴が一度鳴った。
「その鈴、ずっと鳴っていますね」
「人間が嘘を飲み込むと鳴る」
「今も?」
「今のは違う」
鈴墨は不機嫌そうに耳を伏せた。
「言葉が腐らず外へ出た音だ」
依子は恋人へ『明日、話したい』と送った。すぐに既読がつく。
背後でまた鈴が鳴ったが、今度は少しだけ、祝福の音に似ていた。