王命を洗い落とす
「《洗浄士》を司法局へ? 床磨きなら裏口から入れ」
王都監査官グレハムは、ミレッタの任用状を丸めて投げた。
【技能:触れた物から、表面に付着した異物だけを分離する】
泥、煤、油。戦闘では役に立たない。前世で文化財修復をしていたミレッタは、異物と本体の境目こそ最も多くの嘘を隠すと知っていたが、説明する機会はなかった。
その日の裁判で、北部七村の代表が反逆罪に問われた。
証拠は、十年前の租税契約書。村々が納める麦を「百袋」から「千袋」へ変更する追記があり、王印も魔力署名も本物だった。払えなかった村人は土地を没収され、抗議すれば反逆者になる。
「王命に逆らう余地はない」
摂政ラズファンが笑う。
ミレッタは傍聴席から契約書を見て、違和感を覚えた。古い羊皮紙の文字は繊維へ沈み、茶色く馴染んでいる。だが『千』の一字だけ、黒が表面で光っていた。
「洗わせてください」
法廷が笑いに包まれた。
監査官は追い出そうとしたが、村の老女が契約書を差し出した。ミレッタは指先で技能を使う。
薄い光とともに、表面の埃、手脂、封蝋の粉が浮いた。そして『千』の字から一本の墨線だけが剥がれ、空中で黒い糸になった。
残った文字は『百』だった。
「原文の魔法墨は羊皮紙と結合しています。後から足した線だけが、表面の異物です」
摂政が立ち上がる。
「王印は本物だ!」
「印章そのものは。けれど、押印後に数字を足したのでしょう」
契約精霊が目覚め、羊皮紙の上に青い炎で原文を映した。百袋。違反者は村ではなく、王命を改竄した者。
王座にいた若き女王セフィラが、静かに槌を打った。
「摂政ラズファンを拘束せよ」
衛兵が動く中、監査官グレハムは青ざめてミレッタの任用状を拾った。
女王はそれを取り上げ、自ら皺を伸ばす。
「床磨きと申した者がいたそうだな」
「私です……陛下」
「ならば覚えておけ。国で最も落としにくい汚れは、権力者のつけた一筆だ」
女王は任用状の『雑務』を消し、『王室筆跡監査官』と書き換えた。
「ミレッタ。これから王国中の嘘を洗い出せ」