留守番電話は消えない

【午後十一時四十二分 録音開始】

『もしもし、環。今日は会議が長引く。先に寝てて』

そこで切れたはずだった。

だが蓬田征臣は、通話終了のボタンではなく、スピーカーのボタンを押していた。妻・羽佐間環の留守番電話には、その後の七分十二秒まで残った。

『今の、奥さん?』

『うん。疑ってないよ。来月には別れる』

『家は?』

『環には実家へ戻ってもらう。あの家、俺がローン払ってるし』

グラスの触れ合う音。笑い声。旅行の日程。相手の名前。

【午後十一時四十九分 録音終了】

環は翌朝、音声を端末へ保存した。征臣には何も言わなかった。

半年後の離婚調停で、征臣は落ち着き払っていた。

「妻が一方的に家を出ました。浮気などありません。相手だと言われている女性とは、部署の慰労会で一度話しただけです」

環側の代理人が、音声記録の提出を申し出た。

征臣は肩をすくめる。

「加工でしょう。今は声なんていくらでも作れる」

調停委員は、環が通信会社へ保存請求を出した日時と、留守番電話サーバーの記録を確認した。発信元は征臣の番号。通話時間も七分十二秒。環の端末へ転送される前の原データが、事業者の証明書付きで用意されていた。

音声が再生される。

『来月には別れる』

征臣自身の声が、狭い部屋に響いた。

彼は途中で立ち上がった。

「夫婦の会話を勝手に録るのは違法だろ」

環は初めて口を開いた。

「私が録ったんじゃない。あなたが私の留守番電話に吹き込んだの」

続いて相手の女性の陳述書が読まれた。征臣から独身同然だと説明されたこと、家を売って結婚すると約束されたこと。彼女もまた、環から音声を聞かされて初めて真実を知った。

征臣は家の話だけでも取り戻そうとした。

「ローンは俺が払ってきた」

代理人が登記事項証明書を置く。家は環が婚前に購入し、征臣が払っていたのは毎月の生活費だった。

調停委員は原音声の封印番号を記録し、証拠目録へ「相手方本人による留守番電話」と入力した。

入力欄の横に、採用を示す印が付いた。