百羽分の餌

朝になると、中庭は鳩の羽と糞で白くなっていた。

五階の九重野睦生が、毎日ベランダからパン屑を撒いている。管理組合がやめるよう頼むと、睦生は袋を振って笑った。

「生き物へ餌をやって何が悪い。糞を嫌がる人間より、鳩のほうがよほど素直だ」

下階の住人・青葉谷実花は、洗濯物を外へ干せなくなった。子どもは羽毛で喘息を起こし、医師から窓を閉めるよう言われた。

睦生は逆に、実花が鳥を追い払う音で眠れないと管理会社へ苦情を入れた。

「証拠もないのに俺を犯人扱いするな。中庭なんだから、誰かが勝手に撒いてるんだろ」

理事会の日、睦生は鳩愛護の資料を束にして持参した。

実花は、中庭の樹木管理用カメラの映像を提出した。植木の盗難対策で大家が設置し、告知もされている。毎朝五時四十分、睦生がベランダから同じ赤い袋の餌を撒く姿が一か月分残っていた。

それだけではない。

建物の雨樋が詰まり、修繕業者が内部カメラを入れると、パン屑と巣材が大量に固まっていた。雨水が逆流し、二部屋の天井まで傷んでいる。見積額は二百八十万円だった。

睦生は、自然災害だと主張した。

修繕業者は、雨樋から見つかった餌の包装片を示した。睦生がまとめ買いしている商品と同じ製造番号で、彼のごみ袋から出た空袋とも一致した。

大家は契約書を開いた。野鳥への継続的な給餌、衛生被害、設備損傷、改善命令違反。三度の書面警告を無視したため、契約を解除し、修繕費も請求するという。

睦生は実花へ向き直った。

「子どもの治療費を払えばいいだろ。鳩を飢えさせるつもりか」

実花は獣医師と自治体が作った案内を置いた。

「餌を止めれば、鳩は本来の場所へ分散します。ここへ集めて病気を広げるほうが、鳥のためにもなりません」

管理会社がベランダ清掃と防鳥工事の日程を決め、睦生の明渡期限を読み上げた。

翌朝五時四十分、カメラに映ったのは餌ではなく、退去通知を握った睦生だけだった。中庭へ一羽も降りてこなかった瞬間、百羽の居場所を勝手に決めた男の居場所だけが失われた。