紙コップ越しの声

比良坂智佳警部補は、紙コップの落ちる音で部屋を特定した。

情報屋の笹塚孝司は、拳銃密売の内情を捜査二課へ流していた。昨夜、当直代表へ短い通報を残し、その後連絡が途絶えた。公式記録では、笹塚は一週間前から所在不明。だが通報の後ろで鳴った電子音は、県警本部地下の聴取室にある給茶機のものだった。

智佳は空の聴取室で録音を再生した。

――俺は今から、十七歳の子が撃ったと言わされる。

紙コップが落ちる。湯の注がれる音。男の声が近くで言う。

――名前は「じ」から始まる。間違えるな。

笹塚は咳払いを二度した。それは彼と智佳の間で「警察官が同席している」を意味する合図だった。

――その子は現場にいない。銃を売ったのは、俺の担当だ。帳簿はコップの底。

録音は、椅子の倒れる音で終わっている。

聴取室の使用簿は白紙だった。しかし給茶機の保守記録には、昨夜二十三時八分に一杯分の給水が記録されている。同時刻、地下階へ入った職員証は捜査二課長と拳銃対策班主任の二枚。ゴミ箱から回収した紙コップの底には、水に滲んだ数字が並んでいた。警察協力者への架空謝礼番号と、押収拳銃の管理番号だった。

「ただの落書きだ」

背後で捜査二課長が言った。地下には智佳と課長しかいない。

「笹塚を正式に拘束した記録はありません」

「保護して事情を聞いただけだ。あいつは少年を知っていた」

「名前を教えたのは、そちらでしょう」

課長は給茶機へ目をやった。

「この部屋の無断捜索を報告すれば、お前も処分だ。少年の事件を崩せば、半年の捜査が全部消える。笹塚一人の言葉と、どちらが重い」

智佳は紙コップを透明袋へ入れた。笹塚は善人ではない。嘘で金を取ったこともある。それでも、存在しない聴取で作られた証言を少年の罪にする理由にはならなかった。

彼女は使用簿の空白を撮影し、給茶機の給水記録と通報原音を添付した。件名を『情報提供者に対する無記録拘束の疑い』とし、紙コップを課長の前の机へ置いた。

封印欄に署名した瞬間、コップの底の数字が証拠になった。