網戸の四センチ
猫の鼻が、網戸の破れから半分だけ外へ出ていた。
余命を告げられて家へ戻った徳永杏奈は、玄関からそれを見つけた。
破れは四センチほど。昨日までは爪一本分の穴だったはずが、縦に広がっている。窓の外では隣家の洗濯物が揺れ、猫のひげも同じ方向へ傾いていた。
「顔、出さない」
杏奈が言うと、猫は一度だけ振り返り、また鼻を押した。
病院からの帰り道、何か買う気にはならなかった。けれど玄関の収納には、去年買った網戸補修シートが残っている。夏の虫が入る前に直そうとして、そのまま忘れていた。
杏奈は窓を閉め、猫を寝室へ入れた。扉の向こうで、すぐに抗議の爪音が始まる。余命の話を誰かへする前に網戸を直すのは、おかしな順番だった。それでも、猫は順番を待たない。
補修シートの袋には「必要な大きさより一センチ大きく切る」とある。杏奈は定規で破れを測り、六センチ角を二枚切った。表と裏から挟むらしい。角は丸く落としたほうが剥がれにくいと書かれていて、四隅を少しずつ切る。切りかすは猫が食べないよう、すぐ空袋へ入れた。
網戸の埃を濡れ布巾で拭く。力を入れると穴が広がりそうで、周囲だけをそっとなぞった。乾くまでの数分、寝室の爪音が止まり、今度は低い鳴き声が続いた。
一枚目を外側から貼る。サンダルを履かずに出かけ、足裏が熱くなった。腕を伸ばしすぎて角が曲がった。剥がすと粘着が弱くなるので、そのまま指で押さえる。内側の一枚は、網目がずれないよう向きを合わせた。灰色の四角が、透明な網の中にぽつんと浮く。
縁を一周、爪で押す。右上だけ少し空気が入り、何度なぞっても消えない。杏奈は説明書を読み直し、「多少の気泡は性能に影響しません」という一文を見つけた。
寝室の扉を開けると、猫は抗議を忘れたような顔で杏奈の足を踏んで窓へ走った。鼻先が補修シートへ当たり、網戸が小さく揺れる。
杏奈は窓を五センチだけ開けた。猫は新しい灰色の四角を二度嗅ぎ、前足を下ろした。シートの縁は、どこも浮かなかった。