自販機の裏メニュー
午前二時を過ぎると、砥上遥臣の店先にある古い自販機が、存在しない商品番号を表示した。
〈99 SOUND〉
硬貨を百円入れると、缶は落ちず、取り出し口の奥から低いベースが鳴った。冷却機の振動と重なり、路地全体が小さなスピーカーになる。昼間に試しても、売り切れの赤灯しか点かない。
「冷たいままで」
合成音声の囁きに、遥臣は幼なじみを思い出した。彼女は製薬会社の研究補助を辞める直前、突然いなくなった。最後に会った夜、この自販機の前でアイスコーヒーを握り、「秘密は温まると死ぬ」と笑っていた。警察は自発的な失踪と判断し、会社も海外へ転職したと説明した。
Aメロでは、缶が搬送路を転がる音が四拍ごとに入った。再生画面には温度が表示される。四度、三度、二度。自販機の冷却設定では低すぎる。遥臣が背面パネルを開くと、配線の奥に小さな保冷箱が埋め込まれていた。
「冷たいままで」
二度目の声と同時に、サビが鋭く跳ねた。保冷箱の電子錠が、ベースの周波数に反応して開く。中には試験管が十一本と、幼なじみの社員証が入っていた。ラベルの番号を再生画面へ入力すると、曲のコーラスが人の声へ分離する。臨床試験で死亡した被験者の名前。会社が副作用を隠すため、廃棄したはずの血液試料だった。
背後で足音がした。製薬会社の警備服を着た男が、午前二時の無人路地へ入ってくる。彼は曲を止めろと言い、保冷箱へ手を伸ばした。
遥臣は一歩退いた。彼女が消えたのは、証拠を持ち出したからだ。殺されたのかもしれない。そう思った瞬間、自販機の最下段が内側から押し開かれた。
幼なじみが這い出してきた。頬は痩せていたが、生きている。閉店した隣店舗の地下から、自販機の補充口を通じて身を隠していたのだ。会社の監視が薄くなる深夜だけ、証拠を外へ渡せるよう曲を仕込んだ。
最後の一音で、試験管のデータと警備員の顔が報道各社へ送信された。彼女は冷え切った指で遥臣の手を握る。
「冷たいままで」
それは二人の関係を凍らせておく別れではない。亡くなった人々の血を、真実として生かしたまま届けるための保存条件だった。