薔薇の香りを追い出した日

春の褒賞式は、薔薇の香油で満たされていた。

衣装係エマは、入場した瞬間にこめかみが痛み始めた。薔薇の濃い香りが苦手だと知られれば、祝いの席でわがままを言うなと叱られる。

騎士団長ロイドは、列の先頭から戻ってきた。

「窓を開けろ」

侍従が戸惑う。

「香りが逃げます」

「逃がせ」

さらに香油の皿をすべて下げさせた。ロイドは部下に笑顔を見せず、必要な返事も頷きだけで済ませる男だ。けれどエマが仕立て部屋で薔薇香の布を避けたことを、半年経っても覚えていた。

「こちらを」

彼が差し出したのは、香りのない冷たい布。首筋へ当てるかどうかは、エマ自身に任せる。

「ありがとうございます」

「痛むか」

「少し。でも、もう大丈夫です」

ロイドは痛みが引くまで式を始めなかった。

褒賞の最後、王妃が壇上へエマを呼ぶ。

「団長の礼装を長年仕立てた功績により、あなたを未来の団長夫人として紹介しましょう」

会場が沸いた。エマは何も聞いていない。

「お待ちください。私は、その呼び方を望んでいません」

王妃が扇を閉じる。

「団長に特別扱いされながら、今さら何を」

「感謝しています。でも、結婚するかどうかは別です」

ロイドは王妃の前へ進んだ。普段なら王命へ無言で従う男が、婚約証を受け取らずに立っている。

「呼ぶな」

「何を?」

「未来の夫人と」

王妃の顔が険しくなる。

「では、団長は彼女を望んでいないと?」

ロイドはエマを見る。

「望んでいる」

広間がざわめく。

エマが返事を考える時間まで奪われることを、ロイドは何より嫌った。望んでいるからこそ、彼女が迷う余地を残す。その不器用な沈黙を、エマだけはもう知っていた。

彼は続けた。

「だから待つ」

それ以上は語らず、婚約証を折って卓へ戻した。

「本日の紹介を撤回する。エマの返事より先に、私の希望を公表するな」